七

「お前に憑いてた霊は、祓っておいた」

廃校を抜けて暫く歩いたので、田園風景もなりを隠し始めている。民家の建つ間隔が短くなってきていた。しかし、ここからならば、まだ視野が広い。

 もう日は沈みきってしまっている。しかしそれでも空は深い青なだけで、真っ暗であるかといえばそうではない。昼と夜の間の、短い時間である。

「奇跡的にお前の体に傷は残っていなかった。これからは安易な行動は避けることだな」

ファルが先頭になって、人通りも車通りもあまりない細い道路の真ん中を歩く。ファルの表情はわからない。

「はい…………本で読んだ知識を確かめてみたかったんです」

「だがな――」

「でも、ちょっと知識を手に入れた程度で、すべてを知ったような気分になって危険なほうに首を突っ込んで…………皆さんに迷惑をかけてしまった…………」

「葵さん……」

街が近づく。

 街頭の光だけでなく、町並みの光もかなり明るい。

 空の星が消えかけている。

「真夜姉さん…………本当にごめんなさい……」

葵は真夜の方を向かずに、振り絞るように言った。俯いているせいで表情は伺えない。握り締めて色の変わっているこぶしが、痛々しかった。

 そのとき、こわばった葵の肩に、ぽん、とやわらかいものの感触があった。

「……顔を上げてください、葵さん」

真夜の掌である。

 驚いて顔を上げた葵の瞳は、赤い。

 その目は、ファルの顔に浮かぶ笑顔を見た。

 ふにゃり

 そう形容するしかない、そんな優しい笑顔。

 それだけで充分だった。

「ま……真夜姉さん…………」

葵の目に、涙が沢山、溜まっていた。

「さあ、ここまでだぜ。お二人さん」

ファルが振り向いた。

「葵、お前の家だぜ。じゃあな」

一つの扉の前で、三人は立ち止まる。葵は玄関の扉の正面に立って、二人の方に振り返った。

「葵さん、また私たちのところに来てくださいね」

真夜がふにゃりと微笑んだ。

「………………今日は本当に、ありがとう」



 そうして葵と別れてから、二人とも暫くの間無言で歩いていた。すれ違う人たちは、なんだかいつもより少ないように見えた。

 暗くなっていく街に、大小二つの影。

「ファル」

「うん?」

「あの老人のことですが……しのはるさんにまかせて良かったのですか?」

ファルがふふふ、と笑う。

「あいつから言ったんだぜ」

真夜は少し黙ってから、口を開いた。

「………………ファル、すいません。私のせいで葵さんを危険な目に………………あなたが来てくれなければ、今頃は……」

沈んだ声でそう言う真夜を、ファルは一度ちらりと見て、

「なに言ってるんだ。私が行かないとでも思ったか? 結局二人とも助かったんだから良かっただろ」

「………………」

真夜は、その答えが返ってきて嬉しいというように、くすりと笑った。

「なあマヤ、それよりもなんで魔法円を描かなかったんだ」

「ええ……あの魔術、私は見たことがありませんでした……だから、術式がわからなかったんです。わからなければ、魔法円もつくれないでしょう」

ファルはうなずく。

「そうだ。確かにそうだが、あの魔術はあくまでも霊に干渉するものだぜ。だからその魔術自体の術式がわからなくても、霊の侵入を防ぐ魔法円を描けば、それで相手の魔術なんか防げるだろ」

「あ」

な〜るへそ、というように手をぽんと叩く真夜。ファルは頭を抱えた。

「ったく…………危なっかしくて見てられないぜ」

真夜は照れ隠しに頭をぽりぽり。

「あははは……あの時は頭が回らなかったんです。やっぱり私はファルがいないとダメですね」

「ふん、ばかめ」

鼻息荒く、ファルは腕を組んだ。ツインテールに結んだ金色の髪が大きく揺れる。

「そんなの…………私だっておんなじだ」

「ファル?」

「なな、なんだよ」

「何か言いました?」

眼鏡の奥の目がきょとんとしている。ファルはふん、とそっぽを向いた。

 ふう、と一息ついて、真夜は暗くなった空を見上げた。

「今日、しのはるさん来たんですよね」

「ん? ああ」

「ああ〜、私も会いたかったなぁ! 久しぶりに!」

「そう言えばあいつが、私たちの事を二人の天才だなんていってたぜ。勘違いもはなはだしいな」

ファルは不機嫌そうに、形のいい眉を寄せる。

「あはは、天才だなんて」

「ほんとだぜ。天才なんていないんだからな」

そういって、二人で笑いあう。

 赤い月には、二人もの天才はいない。

 ファルと真夜は、二人で一つ。天才がいるとするなら、それはファルと真夜なのではなく、ファルと真夜が共にいるときなのだ。

 真夜が何かを思い出したかのように、

「沢山動いたらお腹が減りましたね、ファル、今日は何か食べていきましょうよ」

「ん! それはいいな、依頼のおかげで少しは金が入ったしな。今日はどこかで食べていくか」

「やった!」

「よし、なんでも食べていいぞ! ある程度なら」

「あ、あのお店にしましょうよ!」

真夜が、まるで小さな子供のようにはしゃぐ。三つ編みが可愛く揺れる。

「ああ、いいぜ。それよりもさ、マヤ……」

雰囲気の変わったファルを不思議そうな目で見つめる真夜。

「? なんです?」

「私に、触らせてくれないか?」

「え? ええ?」

吃驚仰天と言う顔だ。

「ふぁ、ファルのえっち!」

「あほか! それだそのふさふさそうな髭!」

それを聞いてほっと胸をなでおろす真夜。

「なあんだ。髭ですか、それなら全然……って! まだ生えてる!! 忘れてました!」

彼女の顔には、多少汚れてはいるものの、まだ依然としてふさふさとなびく、白い髭の姿が。

「ファル! 脱毛の術式は?!」

少し考えてから、ファルは、

「すまん」

と一言。

「ひ、ひええええ! なんて人です! これじゃあ恥ずかしくて外も歩けませんよ!」

ぷっくりと頬をふくらます真夜をファルはにやにや笑いながら横目で見て、

「歩いてるじゃないか…………」






 平穏な町に突如現れた奇妙な相談事務所、「赤い月」。

 実態はそう、激しい金欠に悩まされながらも、あらゆる魔術を駆使して依頼をこなす、魔術事務所なのだ。

 極端すぎる魔術――アンバランス・マジック……

 それが彼女たちの、もう一つの名前である!






       依頼ニ こっくりさんと髭の怪 終わり