四

「へえ、じゃあ探偵さんは、俺の事を聞いてここの調査に来たんですか」

真夜と葵の二人に、もう一人、白髪の老人が加わっていた。老人は名前こそ名乗らなかったが、その代わり「探偵」と自称していた。葵の言った「探偵さん」とはその老人の事である。その老人はとても明るく、よく笑った。なんだか暗そうな「探偵」と言う言葉からは遠く離れた存在であるように思える。

 まだ二階の階段は見えない。廃校とは言っても、結構な広さがあった。廊下は微妙にカーブしていて、先が見えないのだ。六つほどあると思った扉も、歩いてみると見える数はどんどんと増えていく。

「そうなんじゃわ。たぶん桜くんの友達やと思うんやがな。その子が、友達が自分のせいで変になった、助けてくれ、ゆうもんでなあ。それにしても、すごい髭じゃの」

そういって、Tシャツとジーパンというラフな格好の老人は歯を見せてにかっと笑った。その際顔に発生する幾本ものしわが、その顔を更に愛嬌のあるものに変化させている。背丈は真夜と葵の中間くらいであったが、腰は丸まっていないし、血管の浮いたその肌からは、世代の違いを感じさせられた。

一応その老人にも髭が生えている。結構立派なものではないだろうかと思う。しかし先ほどから老人は自分のその髭を自慢する気配さえ見せずに、真夜のそれを褒め称えてばかりいるのだ。

「こりゃ本当にすごいもんじゃ。時間かかったじゃろ?」

「いえ。付け髭ですので。一晩で」

「わしなんかここまでしかあらへんし、部分部分黄ばんどるし」

「いえ。それも一つの味だと思います。いわゆる一つのアンティークです」

と、老人の絡みつく視線に抵抗する様子すらなく、真夜は感情を込めずに返答していた。眉をひそめたその表情からは、もう髭の事から離れてください〜! という内心が透けて見られる。

 ふう、と老人はため息をつく。

「完敗じゃ、量も質も、あんたの勝ちじゃよ。お手上げじゃ。こうも派手に差があると、かえってせいせいするわい」

「ですからこれは、今夜の仮装パーティのための付け髭であって、じかに生えているものではないんです」

「じゃあ引っ張ってみてもいいですか? 真夜姉さん」

葵少年は笑っていた。ニカリと笑ったときの雰囲気は、なんだか老人と似ていた。真夜は慌てて答える。

「いけませんそれはいけません。今はボンドで接着してあるので、引っ張ると皮膚も破れてしまうんです」

真夜の顔は、今にもべそをかいてしまいそうなほど眉がしかめられていた。相当嫌なのだろう。

 老人はこんどは葵に目を向ける。

「それより桜君、あんた霊に憑かれとるちゅうのは本当かね」

そのとき真夜が一瞬目を細めたのだが、それに気づくものはいなかった。

「はあ。本当らしいです。確かにそう考えれば俺の変な意識の飛びようも上手く説明できるし……俺本で読んだんです」

そして一度間を空けてから、こんどは真夜に向って、

「真夜姉さん…………憑かれたって言っても、具体的に僕、どうなってるんですか?」

「ん〜。詳しく言うときりがないので、簡単に言うなら、そうですね、葵さんの体に霊が重なっているのを想像してもらえばわかりやすいかと思います」

「へええ。難儀じゃなあ」

と大袈裟に驚く老人。いや、真夜の目に大袈裟に映るだけで、老人にしてみれば当たり前のリアクションかもしれない。なんせ、霊に憑かれた、などと言う言葉は日常生活ではほとんどといって聞くことはない言葉であるからだ。

 老人は頭をひねる動作をする。

「うむむ……ではわしは何をすればいいんじゃろ」

「心配いりません。彼のことは全て私に任せていてください。探偵さんは、どうです、これから物騒になるかもしれませんし、外も日が暮れてきましたし、お帰りになっては」

ふにゃっとした笑みを浮かべて真夜が言うが、老人は目を丸く開いて否定した。

「なにをいっとる。夜道が危ないのはあんたらもいっしょじゃろ。言ってみりゃ保護者じゃよ。わし」

「む、保護者ですか。なるへそ」

そうこう会話をしているうちに、二階への階段が見えてきた。突き当りにも一部屋あったが、扉を含めた入り口が半壊していて、とても入れそうになかった。

 階段を上がりきると、そこからまた一階と同じように廊下が続いていた。

「どの部屋なんです?」

「すぐそこです」

一本道なので葵を先導役にする必要はないが、それでも先に進むほど、葵の顔から笑いが消えていくのがわかった。

 近いはずだ。真夜はそう感じていた。進むほど、皮膚が緊張するような、そんな感覚が強くなっていく。霊的なものが近くにいると、そう云う感覚に陥るのだ。 二階に上がってから三つ目の扉の前で、葵は足を止めた。

「ここです」

みると、「理科準備室」とある。

「ここで、俺と数人がこっくりさんをしたんです」

「な、なんでよりによってこんな、いわくがありそうなところで……」

と真夜が愚痴をこぼすが、葵は真剣な顔つきである。それに、それを言うなら「廃校」という時点でいわくがありそうである。

 皮膚が張る。ここが一番、感じる。葵の言葉に嘘は無いようだ。どの程度の霊がどれだけいるのか、そこまでは真夜には感じられないが、おそらくファルならばこの教室の中にいるであろう霊の数を当てる事くらいわけなしだろう。

「ただならぬ気配をかんじるの」

老人はそう言って、ごほんと一つせきをした。

 霊の気配を感じる事ができるのですか?

 真夜は、本人に気づかれないように老人を流し見た。白い眉毛がぐっと寄せられ、口が真一文字に結ばれている。真剣な面持ちであった。少なくとも、先ほどまで談笑していた時とは様子が違う。

「真夜姉さん」

つんつん、とお腹をつつかれて、

「は、はい?」

葵だった。

 困ったような顔で、真夜を見上げている。ふにゃりとした笑顔で、真夜は訊く。

「どうしました?」

「あ、あの……ここの扉、真夜姉さんが開けてくれませんか?…………」

「もちろんそれはかまいませんよ」

すると葵は申し訳なさそうな顔をして、真夜から目を逸らした。

「すいません…………俺、怖くて……」

「大丈夫です。私がついています」

そう言ってふふ、とほほえみかける。

 気を取り直し、真夜は理科準備室の扉に手をかけた。

 依頼主を、危険な目にあわせるわけにはいきませんからね。

 口には出さず、二人へと振り向く。

「……あけますよ」

二人がこっくりとうなずいた。真夜のところまで、葵がつばを飲み込むのが聞こえた。

 ところどころ腐りかけた木造の扉。

 それのとってに力をかけ、ゆっくりと、開いていった。

がらり

 最大まで開け放ってすぐ、葵が安堵の息を漏らすのがわかった。

 夕暮れで沈みかけた太陽の薄暗い光。それが奥の窓からもれていて、部屋内はやはり薄暗い。壁際には沢山の木造の引き出しや戸棚が設置されていて、中にはビーカーなどのガラス品もあった。机は、ない。

 それらの品物が光に照らされ、ぼんやりと浮かび上がっている。

 それだけだ。

 他には何もない。

 と、葵の目には映っているだろう。

「よかった!」

突如葵が、まるで安堵したかのように、緊張が切れたかのように、真夜と扉の隙間を抜け、室内へと入り込んだ。

 そして窓際まで走りよると、くるりと向きを変えて、真夜たちのほうへと顔を向ける。にかりと笑った。

「俺、てっきり目に見える幽霊とかがいるのかと思ったけど、そうでもないんですね」

しかしである。

 葵がそう言うが早いか、真夜が既に駆け出していた。葵のすぐ前で立ち止まり、神妙な顔つきで言う。

「葵さん聞いてください。この部屋には大量の霊がいます。うかつに動かないで。危険です」

「え?」

わけがわからないという表情の葵。

 真夜は葵を庇うようにして、部屋の天井付近を見つめた。

 彼女の目には、そう、部屋中に漂う霊が、ことごとく映っていたのだ。

 布きれのような、それでいて煙のような、よく分からないものが大量に空中を浮遊している。動くたび、まるで空の雲のように細かく千切れてしまいそうだった。

 部屋の向こう側の壁さえ、ろくに見えないほどの霊の数。

 溢れかえっている、と言う表現が一番しっくり来る。

 真夜は苦い顔をしながら、次第にまた蒼くなり始めた葵に言う。

「おそらく……もともとこの廃校の辺りには霊が沢山いたのでしょう。それを葵さんたちがこっくりさんの儀式によってこの部屋にすべて集めてしまったんです………… 儀式をしっかり終わることさえすれば、集まった霊も拡散したのですが…………今となっては、祓うほか方法がありません……」

真夜の体を、布きれがかすめる。

「ももももう一度こっくりさんをやって、ここ、こんどこそしっかり終わらせるのじゃ、だめなんですか……?」

真夜は振り返り、霊は見えていないはずだがすっかり青ざめてしまった葵を安心させるかのように、すこし微笑んで見せた。

「それが一番手っ取り早いのですが…………葵さんが儀式をしたときから時間がたちすぎています……おそらく、通用しないかと………………」

ちらりと真夜が老人のほうへ目を向ける。老人は扉の前に立ったまま室内の空中を眺めながら、ものすごいかずじゃ……と感嘆とも取れる声を呟いていた。

 やはり、霊が見えるのですか…………

「探偵さん! 探偵さんはそこにいてください」

「お? おお、わかっとるよ。わしはこんなたっくさんの霊がおるとこに、自分から入るような命知らずじゃないわい。おっと……すまんかった、桜君」

そういってにか、と笑う。

 なんだか不自然だ。

 真夜は心のどこかでつっかかる何かを感じながらも、葵のほうに向き直った。

「いいですか、あなたに憑いている霊を祓う儀式を行う場所は、この部屋内が一番いいのですが、まずは私と共にここから出ます」

「すぐに祓えないんですか?」

既にすがるような目つきになっている。活発そうな少年であるが、こういうことにはとことん弱いのだろう。

「すぐに祓えます。しかし、儀式中はあなたの体も精神も完全に無防備になるので、折角霊を祓っても、その間にまた新しい霊に憑かれてしまう可能性があるんです………」

「そ、それはだめですね……で、出ましょう」

「はい。そして探偵さんと葵さん廊下にいる状態で、私がこの部屋の霊を全て、祓います。…………あなたの体の霊を祓うのは、それからです」

もう一度「いいですね」と確認し、葵がうなずくのを確認して、真夜はふにゃりと笑った。

 霊は、無害である場合もあるが、とても危険な場合もある。特に、魔術儀式中は先ほど真夜が言ったように、術者がほとんど無防備になるので、そのぶんタチの悪い霊に取り付かれやすいのだ。そのため、術者は魔法円を足元に描く。描けない時は、代わりにイメージを視覚化して、補う。

 しかし真夜は、ファルのようにイメージを視覚化することが、あまり得意ではない。それにもともと、イメージの視覚化とは「自分がイメージしたものを自分が見る」ということである。逆を言えば、「自分が視覚化したイメージは、他人には見えない」のだ。当たり前である。イメージは本人の脳に視覚化されているだけだからだ。

しかしファルのように、自分がイメージしたものを相手にも見せる事ができれば、葵を包むように魔法円を出現させればよいが、他人にも自分の視覚化イメージを見せるなどということができるのは、真夜の知る限りファルという少女一人だけである。

 葵を守るには、葵が見える魔法円がないと、意味がないのだ。だから真夜がいくら魔法円を視覚化しようとも、それは葵に見える魔法円ではないため、葵には全く効果がないのである。

 黒板に目をやる。チョークがあった。これなら、魔法円を描いて霊が入れないようにして、葵を守ることができる。葵に見える魔法円だからだ。しかし真夜は、それをしなかった。

 そんな危険を冒すより、二人には廊下で待っていてもらったほうがずっと安全だと判断したのだ。

「ままま真夜姉さん。急に静かにならないで下さい……こここ心細いです……」

知らぬ間に、葵が真夜の服をぎゅっと握り締めていた。その手は小刻みに震えている。おそらく、霊が見えていなくとも、何か「そういうこと」を感じ取っているのだろう。

 真夜はふにゃりと笑った。

「大丈夫です。私がついています」

そして、葵の手をとると、老人のほうに向って叫んだ。

「今からそこへいきます! それから、ここの部屋にいる霊を全て祓います」

すると、それを聞いた老人は、驚いたように目を見開いた。

「なんじゃと? 霊を祓う? そんなことさせてたまるかい」

その言葉の意味が、一瞬、真夜には理解できなかった。

「え? 探偵さん…………どういうことです……?」

しかし自分でそう言ったところで、はっと思い出す。大量の霊を見つめる老人の、あの高揚した視線を。

 ぴしゃり

 老人の後ろ手によって、最後の出口が断たれた。

「お前らに大事な幽霊を祓われてたまるかといっとるんじゃ」

老人は、窓際に背を並べる二人を見据えて、口の端を吊り上げた。








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