二

「ここが、その学校なんですね?」

廃校である。

 事務所からの長い道のりにて辿り着いたのは、町の中心地から遠く離れた場所にある、一つの学校であった。

 人気どころか、家の一つさえも視界に入ることはない。木造建築の学校のまわりにあるのは、土の地面と不ぞろいの木々だけであった。

「そうです」

「ふむ、葵さんのお話どおりですね……」

少年と真夜の二人は、校門の前で足を止めた。昼過ぎだが雲隠れしたためあまり明るくない太陽、そして、生ぬるい空気が、二人を包み込んでいた。蛇足すれば、真夜の顔の半分を長い髭が包み込んでいた。

 二人がその廃校に来る、少し前のことである。

「名前ですか、えと、桜葵といいます」

「さくらあおいさんですね…………と」

「矛盾した名前だな」

「失礼ですよ! それで…………最近変だ、とはどういうことなんですか?」

葵は不安そうに眉をしかめた。

「それが…………突然何か頭が真っ暗になったかと思うと、ふっと目を覚まして、何時間か時間がたっている、ってことが、最近よくあるんです」

真夜の右手が髭を撫でる。その顔は真剣だ。

「突発的に気絶が起こる、とそういうことですか?」

「それはおかしい。近くにいい病院がある――」

ぎろり

「――けど別に今は関係ないな」

うふふ……と苦笑い。

しかしその遣り取りを全く気にした様子もなく、葵は話を進めた。

「そういうわけではないみたいなんです……俺の意識がないだけで、その間、俺の体はいつもどおり動いてるみたいで……」

すると、ファルの顔から苦笑がすっと消え、代わりにその吊りあがった目が細くなる。



「お前、憑かれてるぞ」



「え、でも睡眠はちゃんと」

「そのつかれてるじゃない! 久しぶりの私の真剣なセリフにありがちなボケをくっつけるな!」

憤慨して葵に身を乗り出すファルをなだめながら、真夜が訊く。

「最近、何かおぼえはないですか?」

「覚え?」

「お前は今、霊にとりつかれている、とそういったんだ」

「え?」

一瞬、わけのわからないというような表情が葵の顔に浮かび上がる。しかしその心に浮かんできた幾百もの質問が葵の口から出る前に、ファルは訊く。

「なにか憶えはないか? 例えば……そう、こっくりさん、とか」

葵の顔が、見る見るうちに青くなっていく。

「そういえば…………友達と数日前、ある廃校で……」

「恐らくそれだぜ。そのとき集まった霊がお前にとりついたんだ。よかったな」

「よかないですよ!」

ばん、と机を叩いて葵が身を乗り出す。必死の表情である。しかし、ファルはあくまで涼しい顔だ。

「自分がしっかり儀式を終えなかったからだろう。自業自得だぜ」

「う……」

「私がよかったなといったのは、まだ霊に憑かれて数日しかたっていないことに、だ。もっとたてば、こんなものじゃあなくなる」

「………………」

葵は俯いて、黙り込んでしまった。その様子は、霊と言う存在に怯えているようにしか見えない。

「お気を確かに……」

真夜が、す、と少年の肩に手を添える。そのとたん、ば、と葵の首が持ち上がる。

「と言うことは俺、きつねつきなんですか?」

真夜との顔が近い。

 とっさに真夜は葵の肩から手を離す。

「い、いえ、狐憑きというわけではないんです」

「? どういうことです?」

真夜はその質問には答えず、微笑んでいった。その手はやはり自分の髭をなでなでしている。内心、気に入っているのだろうか。

「大丈夫、安心してください。葵さんに憑いたものは私たちがかならず祓います。とりあえず……そうですね…………あなたがこっくりさんを行ったその廃校へ、連れて行ってくださいませんか?」

「憑かれた場所で祓うのが一番だからな」

そういって、ファルはソファを立ち上がった。

「うふふ……さっそく準備だ」

そう言ってにやりと笑うファルに、時折髭をさすりながら、真夜はふにゃりと笑う。

「あ、ファルはいいです。ここに残って、脱毛の術式でも考えていてください」

「だから、半日で治る…………………………わかったよ」

そう言って眉をしかめるファルをおいて、二人は事務所を出てきたのである。

 場面を戻そう。人が居ない、というとだけで随分と心細さを感じさせられる。

「どこから入れます?」

腐りかけていた門を抜けて、真夜が訊く。

「もうどこからでも。なんせ廃校です。気にする事はないですよ。俺はそこから入ってます」

といって二人が駆け寄ったのは、廃校の正門。

「……堂々としてますね」

学校の正面に立って、上を仰いで見る。すでに動きを止めた時計が目に入った。

「さ、こっちです」

正面玄関を抜けると、左右に廊下が伸びていた。床は木造で、ところどころ割れてしまっている。

 二人は土足であがっていき、真夜は、葵に導かれるようにして、右の廊下へと歩みを進めた。

 廊下の右側には、幾つかの部屋に続く扉が六つほどあった。いずれも木造である。埃を大量にかぶっており、触ると跡がつきそうだった。

 雰囲気が重々しい。

 この廃校を目にしたときから感じていた事だが、中に入って確実にわかった。ここには大量の霊が存在している。

 真夜の目には、霊的、魔術的なものが映る。正面玄関を抜けた時も、なにか白い浮遊物体のようなものを真夜の目が捕らえていたのである。

「そう言えばさっき、きつねつきじゃないって」

葵が急に話し出す。

「あれ、どういうことなんです? 俺、本で読んだんです。こっくりさんをして、最後ちゃんと帰らせないと、やってた誰かがこっくりさんに憑かれてしまうって。俺はそれじゃないんですか?」

真夜ふにゃりと笑顔を浮かべた。

「ああ。そのことですか」

「そのことです」

「まず、こっくりと言うのは狐、狗、狸、つまりきつね、いぬ、たぬきのことです。まあ、後付された当て字なんですが…………もうこれで狐憑きではないですね」

感心の表情を浮かべる葵。

「あ、じゃあ、何らかの動物霊に憑かれる、という事なんですか?」

「ん〜、それも少しちがいますね。そもそもこっくりさんというのは、周りに居る霊を無作為に集めてくるだけの儀式なんです。だから、それが動物の霊であるとは限らないんですよ」

「はあ、なるほど……じゃあ、俺のは」

「大丈夫です。魔術の術式はファルのほうが断然得意ですが、私にも葵さんの体に憑いたものを払うことくらいならできますから。………………葵さんがこっくりさんをした場所と言うのは?」

「…………この廊下の突き当たりにある階段を上った、二階の――――」

しかしその言葉が最後まで話されることはなかった。

「少し静かにしていてくださいね」

押し殺した声で、真夜が言った。真夜は葵を後ろから抱きかかえるような姿勢で、その手で葵の口を覆っていた。それが原因で、葵の言葉が次を語れなかったのだ。

 葵を抱きかかえると同時に、真夜は開いていた近くの扉へと身を投げ入れていた。丁度、部屋の内側から扉に背をつける感じで、真夜は廊下を伺う。

「どどど、どうしたんです?」

急に年上の、それに比較的美人、もとい可愛いほうに分類されるであろう真夜に抱きかかえられた事で、いまいち状況がつかめれていない葵は、背中に柔らかいものを、そして頭にフサフサとしたものを感じながら、小さな声で訊く。

「誰か来るようです」

廊下から視線を葵に移す真夜。その表情はいつになく真剣である。

「廃校、なはずです。誰か?」

「ええ。誰か来るみたいです。何者でしょうか」

葵には全くそんな気配は感じられなかった。気配どころか、足音だって自分たちの鳴らすものしか耳に入ってはいなかったというのに。

 暫くそのまま息を潜めていた。葵の頬は、僅かに上気している。まだ体を抱きかかえられたままだ。体温があったかい。

 ついに、この状況に耐えられないというように、葵が声を絞り出した。

「あ、あの…………」

そのときだ。

 ぎし、ぎし、という音がはっきりと、葵の耳にも聞こえた。もちろん、歩いた時の床のきしみの音である。

 もちろん、続く言葉など既に腹の底に消えてしまっていた。本当に居のだ。こちらに向ってくる者があったのだ。

 この人は、何者なんだ。

 葵はその疑問を、遠くで聞こえる足音の持ち主ではなく、自分の背後の真夜に向けた。

 魔術がどうだのといい、この気配の感じ方といい……

 ぎし、ぎし

 葵の思考はそこで中断された。向ってくる足音に恐れをなしたからである。

 足音は、一つ。こんなところに、しかも日も沈み始めたこんな時間に居る人物とは、どんなものなのか。

 真夜は、少し震えている葵をなだめるように腕で抱えながら、そう考える。

 なにか、特別な理由があるはずである。兎に角、どんな理由があってここに居るとしても、いざこざを避けるためには自分たちの存在は知られないほうがいい。

 ぎし、ぎし

 次第に近づいてくるのがわかる。おそらく、自分たちの居るこの部屋の扉も通り過ぎていくだろう。

 どんな人物かはそのとき確かめればいい

 ぎし、ぎし

 足音が、すぐそこまで迫ってきていた。

 葵のからだの震えが少しばかり激しくなる。

 ぎし、ぎし

 来る……!

 人物の足音は真夜たちの隠れる扉の前から聞こえた。なるべく音を立てないほうが良いと思い、その扉は開けたままである。

 ぎし…………

 足音が止まった。

 しまった! 気づかれた?!

 夕焼けの光が、開いた扉からその人物を照らし出した。

「誰か居るのかな?」

老人の声だ。

 廊下から部屋を覗き込んでいる。もうだめだ。扉の裏に隠れている自分たちが見つかるのも時間の問題である。どうせ見つかるなら、隠れているところよりも自然に動いているところを見つけられたほうが怪しまれずにすむ。

 そうかくごし、真夜が体をもたげようとするその数瞬前、扉から、白髪の老人の顔がにゅっ、と突き出てきて、視線が二人を捕らえた。葵が小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。

「もしかして、あんたが桜葵ちゅう子かね」

敵意は感じられなかった。

 老人は視線を葵から真夜に移し、驚いたような声を上げて、こういった。

「ほほぉ。素晴らしい髭じゃ。見たところ、付け髭ではないの」






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