依頼ニ こっくりさんと髭の怪
一
ある日の真昼。
日も高く上り、いい加減もう少し光量を抑えてもいいだろうと思う微妙な暑さ加減の日曜日である。事務所にある窓全てを開け放っても、風がない限り涼しげであることはない。
相談事務所「赤い月」。
相談、そして依頼をこなす、こう云う仕事は、相談がない限り金が入らない。
だから、クーラーは取り付けられているのだが、お金がかかると言う理由でまだこの町に来てから一度も手をつけていないという現状がある。
窓からのぞく町はいつもどおり機能している。
「ぎいやあぁぁぁああ!!」
そんな平穏な昼間を、突然の叫びが貫いた。もちろん発生源は町の一角、相談事務所「赤い月」である。
「お〜う真夜、どうした」
そういって私室から事務所につながる扉を開けたのは、ツインテールに縛った金色の長い髪が魅力的な小さな女の子。目は少々吊り上がり気味だ。今日は暑さのためか薄い色のワンピースを着用している。肩がなく、涼しげな感じを受ける。
その少女が真夜と呼んだ人物は、事務所のお客様用のソファに座っていた。
座っていてもその背の高さが伺え、つやのある長い黒髪は腰まで三つ編みにあまれていた。顔には大きな眼鏡がかけられており、一つのチャームポイントだ。
真夜の表情は、恐ろしくゆがめられていた。普段は見る事のできない顔である。しかし、そんな顔をしてしまうのも分かる。
「私の顔に…………なんだかフサフサとしたものが!」
そう。
歳と背に似合わない童顔のその顔には、いまやサンタクロースのそれのような、真っ白な髭が生えていたのだ。それは真夜の口を隠し、もみあげから繋がるようにもっさりと、彼女の胸元辺りまで揺れていた。
少女の顔に、白い髭。
付け髭でないのだとしたら、これはどういう状況なのか。
その恐ろしい状態を目の当たりにした背の低い少女は、とっさに口元に手を持って行った。
「うぷぷ…………季節外れのなんとやら」
「ファルッ! これ、あなたのせいでしょう!」
髭の少女、いや真夜は自分のそれに手を持っていって、叫ぶ。べそをかきそうになりながら、である。
髭と、整った少女の顔が、ものすごくアンバランスであり、笑いを誘う。そしてその笑いに誘われてしまったのが、ファルと呼ばれた背の低い少女である。
真夜が髭を隠すように、ソファの上で丸くなる。行儀よく両膝を腕に畳み込んでいる。
「いやあすまん、すまん。新しい魔術を試してたらつい失敗しちゃって」
笑いをこらえて言うファルのすまんすまんというすまんの中に、すまなさそうな要素はまったく含まれていない。
「もう、本当になんなんですかこれ…………鏡がなくても状況がつかめますよ……」
ファルが得意のニヤニヤ笑いを浮かべながら真夜に近づき、舌を小さな口からチロリ。
「やっちゃった」
「やっちゃった、じゃないですよ! もうほんと…ショックです……思春期真っ盛りの女の子だっていうのに……髭が……しかも、じかに生えるなんて…………」
しょぼーんとなる真夜。細長いからだが更に丸くなる。
「ごめんって。半日もたてば直るさ。それまでの辛抱だ、マヤマヤ」
「可愛げのある愛称でごまかさないで下さい! まったく……一体どんな魔術の研究をしていたんですか!」
すると、さも当然だと言うようにファルが答える。
「ん、床暖房の魔術だよ」
「床暖房で、髭ですか!」
と言って真っ白な髭をさする。余談だが、真夜が怒った状況には、ぷんすか、という擬音がよく似合う。
魔術の研究――
二人の会話の中に自然と組み込まれている、魔術、という単語。これは、非現実であり、彼女らにとっては現実である言葉なのだ。
「赤い月」の裏の――というより真の――顔、それは、あらゆる魔術によって依頼をこなす、魔術事務所という顔なのである。
しかし依頼の来ない日は…このように、とても暇なのだ。
ファルが新しく考えた魔術を試したところ失敗し、影響が真夜の顔に髭が生えるというかたちで出てしまった、それが今の状況を端的に説明する一番の言葉だろう。
「しかもこんな真夏に床暖房してどうすると言うんですか。わけがわかりませんよ」
「働き者のアリは、冬になる前に食料をためておく。だから――――」
「あ、もうその先大体わかったので、いいですよ言わなくて」
落ち込んでいるためか、その声は妙に低い。どんよりとした空気が真夜の周りにだけ漂っていた。
しかしそれに相反するように、この状況を楽しんでいる空気を発しているのは、ファルである。
「そういえば最近は、霊を集めて売買するっていういかんとも許しがたい商売があるみたいだな」
「このタイミングで持ってくる話ですか!!」
くわ
と顔を上げて、眼鏡の奥でファルを睨む真夜。
しかしその視線に気おされる事すらなく、ファルはうふふと笑った。
「どうせなら涼しくなる魔術の研究でもしろと言う目だな。しかしそれなら私にいい方法がある。天井から刃を下にして包丁をつるせばいいんだ。これで涼しくなる」
「気分的にはですけれどね……」
真夜から返ってくる言葉は力ない一言。もう既にファルを睨んでいた時の威勢のよさは消え、うなだれるように顔を両腕にうずめている。
「なんだなんだマヤマヤ。体感温度をなめるなよ。そんなに暑ければカレンダーを十二月までめくればいい。あ、だめだ。カレンダーの無駄になる。また買わなくちゃいけない。そんなことするんじゃないぞ」
「言われたってやりませんよ…………」
ファルは腰に手を当て、まるでミニサイズの仁王のように胸を張る。
「まったくマヤマヤは……そんなに暑いのが嫌か。だらしないなあ」
「嫌なのはこれです!!」
くわ
と顔を上げて、眼鏡の奥でファルを睨む真夜。もちろんその手には、軽くカールしたフサフサの白髭がつかまれているのである。
「だからそれは半日だけの冗談だと思って……」
「あの、ここ、何でも相談を聞いてくれるんですよね」
突然のその声が聞こえたのは、事務所の入り口の扉からだ。反射的に、マヤは髭を、その声を発した人物から隠すように両腕で覆った。
ファルの苦笑が次第に薄れ、本来のニヤニヤした笑みが戻ってくる。
「そうだ。ただし危険そうなものには巻き込んで欲しくない。そういうもの以外を相談しに来たと言うのなら、少なくともお前がここ『赤い月』に助けを求めた選択は間違っちゃいないぜ。さ、ここに座れ」
そういって、机を挟んでその人物をソファに座らせる。
少年である。
この間の依頼主よりは若いだろう。せいぜい、小学生高学年といったところか。背丈はそれほど高くなく、しかし、ファルよりはあると言う程度であった。ファルは一応年齢的に言えば中学生なわけで、その背の低さは折り紙付きなのである。
どこにでもいそうな少年だ。髪の毛は短く切っており、活動的なTシャツ短パン姿であった。太ってもいなく、やせてもいない、むしろ筋肉がある程度ついていると言う表現が一番しっくり来るだろう。服から露出した肌は、黒く焼けていた。
「こんな軽装ですまないが、私たちも暑い。クールヴィズというやつだ」
ファルが言う言葉はなんでも自慢げに聞こえるが、自慢するような事ではない事は先刻承知である。
しかし少年は色気のないファルの服装など気にも留める様子がなく、むしろ、体全てである一部分を隠そうとしているもう一人のほうに興味をもったようで、
「すごい髭を持ってるんですね……」
と少し尊敬の念さえも感じられる声色で言った。
そんな風に思われてはたまらないと、真夜は身を乗り出して叫びそうになりながらも、答えた。
「私はれっきとした女です! これは、仮装みたいなものですよ」
「そうじゃなければすごく怖い」
というファルを、きっ、とにらむ真夜。
「今夜パーティーがあるんです。そんなことよりもですね、私の『付け』髭に興味をお持ちになられるよりもですね、相談の方をお願いします」
「ああ、すいませんすいません。あまりにも立派だったからつい」
といって少年は目を三日月にして人懐っこく笑った。まったく、と呟く真夜の隣で、ファルがうふふ、と笑いをかみ殺していた。
「では」
そう言って、真夜はどこからともなく取り出したノートを机上に開く。その手にはペンが握られている。どうやら、仮装パーティーがあると言う設定ならむりして髭を隠さないほうが得策だと踏んだらしい。
「それで、何があったんです」
「はい…………実は」
そういって、一呼吸おく。顔からは既に笑顔が消えている。
「俺、なんだか最近変なんです」
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