九

「ふあぁ〜あ……」
いつもどおりの――昼に近い――朝に、眠たげな声がゆるりとなびいた。
 窓の外では既に太陽が高くから日を降り注がせている。
 カーテンがないので、日光を防ぐ事ができないのだ。
「…………全く……私がこんな時間まで寝てるなんて、前代未聞だぜ…………」
ピンク色のパジャマ姿のファルが、二段ベッドの上段で上半身だけを起こしながら、金色の髪をわしわし。
 下へ降りてみると、案の定、ベッドからずり落ちた姿で真夜が床に転がって――もとい、寝息を立てていた。寝巻きの間から小さなへそがのぞいている。
 ファルはその無造作に投げ出された四肢を恨めしそうに一瞥し、やがて部屋を出た。
 寝不足なのだ。

 昨夜、あの騒動の後、しばしの間ファルと真夜の二人はそこに残った。もちろん、南の話を聞くためである。
 ――お兄ちゃんとずっと一緒にいたかった……
 聞いた瞬間はお兄ちゃんである東も驚いたその南の言葉の裏には、ある事情があったのだ。
 南は、実の兄に恋愛感情というわけではないが、強い愛情のようなものを抱いていた。願わくは、これから先もずっと二人一緒にいられれば、と密に思っていたそうである。もちろん、妹のそんな感情は、兄である東に気づかれてはいなかったのである。
「……理解されたかった……その通りだったんだな」
事務所のデスクとペアの椅子に腰を落ち着けて、ファルが眠たげな目でぼそりと呟いた。
 しかしそんな中、両親の不仲により発生した離婚問題。
 母の方は兄を、父の方は妹を、それぞれ離婚した後に自分の子供として育てると言い張った。
 もちろん、子供の意見などは右耳から左耳だったという。
 南は思った。これでは兄と一緒にいられなくなる。
 そして、決心を固めた南は、随分前から集めていた知識を駆使し、その離婚計画を壊す事に決めたのである。
「ふふん…………筋はあったな……」
その材料が、『ゲーティア』つまり、悪魔使役だったのだ。
 しかし実行に移したはいいが、所詮中学生の知恵である。計画の穴は多々あった。
 実の父を行方不明と言うことにした上でなんとかしよう、というなんともいいかげんな計画だったのだが、父を悪魔によってさらった後、南は気づいた。
 自分には魔術の力がある。それなら、兄に全てを話し、二人だけで逃げてしまえばいい。そうするには、自分と兄だけが突然行方不明になってしまったという事にすればすむ、と。
 しかし、計画はすんでで止められた。
 相談事務所「赤い月」の二人によってだ。そこからは、いわずもがなである。

 その話を聞いていたせいで、二人は今、寝不足なのである。真夜にいたっては、いつ起きるかさえ予想がつかない。
 ファルは椅子の背もたれへと、深く体を預けた。
 疲れた。
「むぅ…………今日くらい、二度寝しても――」
そういってまぶたを閉じようとした、まさにそのときである。
「――ファルッ!!」
「ぎゃっ!」
不意打ち的な声により、ファルの閉じかけたまぶたも一気に開いた。
 そのときのファルのリアクションを見たものがいれば、恐らくくすりと笑うだろう。
 突然の声に吃驚したのか、その小さな体はいまや椅子の上にはなく、まるで地震の避難訓練のときそうであるように、
「マ、マヤかよ…………いきなりなにすんだ……」
仕事机の下に潜り込んでいたのである。
 今は、机から頭だけをひょこりと覗かせていて、眉は、不快そうに寄せられている。
 そして、その様子を見ていたもの――というか声を発した当事者、真夜は、机の前にすっくと立ち、怯えるファルを見下ろしていた。
「ふふ…………そのリアクションが見たかったんです……ふふ…………ふふふふ……」
腹と口を押さえて笑い始める真夜に憤り、ファルが机を叩いて立ち上がる。
「ばかッ! お前、そんなことのために早く起きたのか! てっきり夜までぐっすりかと思ってたのに!」
「いつものファルからは想像もつかない怯えよう………………ぷくくく」
目の端を吊り上げ顔を真っ赤にして、ファルは叫ぶ。
「このぅッ……気を抜けば……腹が立つッ!」
「ぷすすす……」
「その妙な笑い方をやめろッ!」

 とるるる

「ああ、電話です。電話に出んわ」
「出ろよ!」
 二人の争いの間に、電話の着信音が割り込む。
 とるるる とるるる がちゃ
「ファル、ちょっと静かにしていてくださいね。はいもしもし、相談事務所『赤い月』です」
真夜が受話器をとったのを境に、ファルはとりあえず押し黙り、むすっとしたまま椅子にもたれこんだ。ちょこっと突き出た下唇が、どことなく可愛らしい。
「ああ! あなたでしたか…………この間はどうも…………いえいえ…………はい…………はい……」
「………………」
暫くの会話が続く。
 ファルは腕組みをしながら、真夜が電話をきるのを待つ。真夜の位置からでは見えないがファルの足はぷらぷらと揺れていた。
「…………はい。ファルにも伝えておきます。はい。それではお元気で」
笑顔でそうしめると、受話器をがちゃり。
「誰」
「東さんです」
「東…………なんだって言ってた?」
真夜が笑った。
「あれからの事です。離婚は取りやめですって」
「…………ふふん。よかったじゃないか」
ファルの顔から、僅かに不機嫌そうなものが消えていた。足のぷらぷらも止まったようだ。
 真夜がファルのいる仕事机に歩み寄る。
「そうですね。なんでも両親が、自分たちのせいで子供たちにこんなに苦しい思いをさせていたなんて、と和解したそうですよ」
「傷は治すものだぜ。うふふ」
「まったくです。あっ……」
真夜が何かに気づいて、窓の外に視線を送った。
「ん?」
ファルも真夜のその様子に気づいて、自分の後ろの大きな窓へと振り返る。
 二階である事務所、そこから見えるのは、広いこの町のいつもどおりの平凡な風景だ。
 決して多くはないが、車や人が往来していく道路が、この事務所の前の道路である。
「あれは…………」
その道路の歩道を、大人と少女が連れ添って歩く姿があった。
「南か…………元気そうじゃないか」
恐らく大人は彼女の親であろう。
 二人は楽しげに話しながら道路を通り過ぎ、やがて見えなくなった。
 ファルはふふ、と一度微笑んでから、くるりと椅子の向きを元に戻した。
 真夜のふにゃりとした、ぬけていて、それでもどこか優しげな表情。
「この町に来て初めの依頼は、無事、こなせたようですね」
それにファルは満足げな表情で答えた。
「ふふ……次からはなるべく、安全な仕事にして欲しいものだがな」
「それもそうですね。……あっ」
真夜が口を手で押さえる。
「む、今日はなんだか気づく事が多いな。どうしたんだ」
しまった、というように真夜はファルに答える。
「私たち、依頼達成のお金、もらってません」
「あ」


 平穏な町に突如現れた奇妙な相談事務所、「赤い月」。
 実態はそう、激しい金欠に悩まされながらも、あらゆる魔術を駆使して依頼をこなす、魔術事務所なのだ。
 極端すぎる魔術――アンバランス・マジック……
 それが彼女たちの、もう一つの名前である!







      依頼一 相談事務所「赤い月 終わり