三

「ここは…………」
「ん、図書館」
「そんなことわかってますってば!」
ひょろっとした真夜と、ミニサイズのファル、その二人の目の前にそびえるのは、巨大な県立図書館であった。階層は地下駐車場をあわせ五つ存在し、一寸したレストランも兼ねる、いわば、本好きにはたまらない聖地なのである。視界に入りきらない大きさの、この図書館の所蔵する本の量も、他県に比べてかなり多いらしい。何せ、四階層に大きくジャンルわけされている膨大な量の本を全て集めると、これまでに発売された本の種類とほぼ同数にあたると言うのだから、その規模の大きさが伺えるであろう。
 東少年に案内されるがまま、二人は図書館の外に広がる緑の庭園を抜けて、ここへとたどり着いたのである。
「来るのは初めてでも、見れば分かりますよ。ここが図書館だなんて事くらい」
「おいおい聞いたか東。あれはさっき、ここにはキムチとか売ってますかねえ、とか言ってた口のセリフなんだぜ、うふふふふふふふふ」
「ファルは黙っててください。それより東さん、あなたが私たちに来てほしいところ、というのはこの図書館なんですか?」
さっきからにやにや笑いっぱなしのファルを手で押しのけながら、真夜が訊く。前を行っていた東は振り返り、頼りなさげに微笑んだ。
「そうだよ。それにしても二人は随分仲良しなんだね」
「うふふふ」
「そ、そうですか? ちょ、服を引っ張らないで下さい……!」
「来て欲しい、というか、見て欲しいものがあるんだ」
東も道中により、随分とこの二人に慣れたようだ。
「見て欲しいもの、ですか………………だ、だから、その目をやめてくださいと言っているでしょうッ…………! そ、その見て欲しいものというのが、東さんが、妹さんはさらわれたんじゃない、と確信する理由なのですね」
「うん。まあ、そういうわけなんだ。ほら、ここが正面玄関だよ」
三人がガラスの扉に近づくと、それはひとりでに開いて、三人を内部へと迎え入れた。
 エントランスは図書館、二階に続く階段、レストラン等に繋がっており、一通り東に紹介されてから、図書館へと向かった。
 無表情の受付を抜けると、そこには背の高い本棚が所狭しと並べられ、そしてその一段一段に、整然と本が並んでいた。これだけでも、そこいらの本の専門店の何倍もの広さを持つという。ここまで来ると、恐ろしいとしか言いようがない。
「それにしても、たいした人数だな」
露骨に嫌そうに顔をゆがめて、ファルが言った。
 このフロアには窓際等の場所に読書の為の椅子とテーブルが置かれているという。見てみると、確かに空席はない。
「この図書館は所蔵量が半端じゃないからね、平日でも来る人は来る。いつでもこんな状態だよ」
東は特に気にしていないようにそう解説したが、ファルの機嫌の悪そうな表情は一層曇るばかりであった。思えば、この図書館の中の、しーんとした静けさとは裏腹な人気の多さを目にしたときから、この表情である。
 三人はまるで立体迷路のように立ち並ぶ本棚をさらに進んでいく。恐らく、東が居なければ玄関に戻る事さえもできないだろう。そんなことを思わせるほど、この図書館は広かった。
 そのうち、進めば進むほど本棚を漁る人の姿が見えなくなっていくことに気づいた。何処となく、不気味である。
「この図書館には、絶版になった本だけを集めている場所があるんだ。それが、ここだよ」
本棚で区切られた一区域。
 丸い書体で書かれた「絶版コーナー」の文字。
「ここには、絶版になった本の中でも、貸し出し禁止のものがおかれているんだ。さあ、こっちだよ」
東の取り敢えずの解説。そして三人は「絶版コーナー」の看板を抜けて、迷うことなくある場所へと向かっていく。
 絶版コーナーに入って、また人数が一気に増えた。ここは人気の場所らしい。
 暫く歩いて、東はある本棚の前で急に立ち止まった。そのせいで、ファルは勢いあまって真夜の背中に頭をぶつけてしまったが、そこに人はいなかったので、笑いものにされなくてすんだのが幸いであった。
 東はかがみ、下のほうの棚から一冊の分厚い本を丁寧に取り出す。どうやらそれが、目的の書籍らしい。
「これなんだけど…………」
東の持つ本を中心に、三人は覗き込むように丸くなる。
 誰にも触られていないのか、比較的綺麗な表紙であった。しかし、その表紙に目をやったとたんに真夜とファルが目を合わせたことに、東が気づくことはなかった。
「『全和訳 ソロモン王の小さな鍵』……ですか……これは、一体……?」
「そう言うと思ったんだ」
東は二人の方に目をやる。
「これは魔術書、いわゆるグリモワールってヤツでね、この本の中に、古代の王ソロモンが使ったとされる悪魔召喚、というか喚起の儀式の方法がこと細かく載せられているんだ。この本は、原書の和訳版だよ。当然、もう絶版だ」
――ソロモン王の小さな鍵。
 数ある魔術書の中でも、かなり有名なこの本。名前くらいは聞いたことがあるだろう。
  少し言葉をにごらせてから、東は二人の視線に催促されるように続ける。
「僕は、妹が居なくなったのはこれのせいじゃないかって思うんだ。警察に魔術だなんて言っても笑い飛ばされるのがオチだからね」
「悪魔喚起、ね………… それで、偶然見つけたチラシをつてにして、私たちに依頼しに来た、ってことか」
ファルの表情はいつになく真剣である。
「そうなんだ。といっても、君たちだってあまりこういうことには詳しくないだろうから、かじる程度でも知識を、と思ってね……」
「かじる程度……ね」
ファルがぼそっと呟くが、聞こえていたものは恐らく居ないだろう。
「この本と、妹さんが消えた事件とは、どういうかかわりが?」
真夜のその言葉に、東はゆっくりと話し出した。
「うん。妹は実は、魔術かぶれだったんだ」
「魔術かぶれ……? どういうことだ。オカルト好きってことか?」
東は困ったような表情を浮かべながら、もう一冊本棚から本を取り出した。
「最近だったんだ。二年位前から、妹はオカルトの本を漁り始めた。そしてその中から特にあいつの興味の対象になったのが、この、魔術師と魔術という存在だったんだ。この本を見て、ほら。これが、魔術師になるための訓練」
そういって東は、新しく引っ張り出した本を開き、目次のページを二人に見せる。二人は覗き込むようにそれに見入った。
「精神を制御するための訓練……、イメージを視覚化する訓練……、アストラル体、光体のための訓練……」
わけの分からない言葉の、わけの分からない羅列。
「とにかくね、妹の話ではその中に書いてある訓練をして、それができるようになれば、魔術師を名乗れるらしいんだ」
東が次第に饒舌になって行くのに二人は気がついた。語るときは語るが、引く時はとことん引く、そういうタイプなのだろう。
「一年位前からかな……あいつは急に魔術師になる、とかって言い始めたんだよ。そのとき僕は鼻で笑ったんだ。どこのファンタジーだ、ってね」
「まあ、それが普通の人間の反応だろうな」
「それからあいつは僕にしきりに魔術だとか、魔術師だとかのことを説明してくるようになった。もちろんそれまでに本とかから得た情報なんだろうけれど、あんなに必死になって話す姿を僕は見たことがなかった。でも僕はそのたび否定したんだ。どうせ一時の感情にすぎないから、そういうものに深入りするのはやめろ、と。確かにオカルトを馬鹿にする気持ちもあったけど、どこか不安だったんだよ」
二人は無言でその話を聞いている。
「でもあいつは魔術師になる夢を諦めてはいなかったようでね、それから毎日暇なときは自室にこもって、その本に書いてある訓練、っていうのを、実践し始めたんだよ」
「それを思い出して、ってことか?」
「うん……まあ。あいつに熱心に何度も同じ説明を聞かされるものだから、頭に染み付いちゃったんだよ。それによると、魔術師が魔術を行うにあたって一番大切なのは……これらしいんだ」
そういって東は、開いてある訓練の目次の一つに指を当てた。
「イメージの視覚化」
そのページを、めくってみる。その内容は、大体こういうものだった。
――イメージの視覚化。
 魔術師にとって尤も重要な訓練で、大まかに言えば「実際にそこにはないものを、あるものと仮定して幻視する」こと。
 つまり、「ないものを見る」ための訓練なのである。人は、あるものの情報が視神経を通って脳にいたり、脳がそれを認識したとき、初めてそれを「見た」と感じる。このイメージの視覚化という訓練は、例えばそこにはないはずの丸という図形を、頭の中だけで作り出す、つまり、視神経を通さずに、脳だけで認識することができるようにするという、わけの分からない訓練なのである。
 本当に、無いものを「見る」。想像した「イメージ」を、「視覚化」する訓練なのだ。
「これが魔術にどう関わってくるかは僕にはよく分からないんだけれど、あいつはこれが一番重要だって言ってたんだ」
「……イメージの視覚化…………この訓練を、お前の妹はよくやっていたわけだ」
東はうなずく。
「うん。なんでも、できればできるほどいいらしい」
「というと?」
「これもあいつの受け売りなんだけど……例えば、巨大な十字架を視覚化したいとするよね。その場合、何か視覚化する基――この場合は小さな十字架のペンダントだとか――を基礎にしないと視覚化できないか、または何もないところからいきなりその巨大な十字架を視覚化できるか、といったら」
「なるほど、それが『視覚化の段階』ですか。その段階が高ければ高いほど、良い魔術師というわけですね」
「まあ、例によってこれがどう魔術と関わってくるのかは、よく分からないんだけれどね…………」
困ったように薄く微笑みを浮かべる東。
「それよりも僕が気になるのは、こっちなんだよ」
そういって、始め取り出した本を二人の前に差し出す。
 「ソロモン王の小さな鍵」である。
「…………いきなりこんな事説明されて、ちょっと混乱してるかい?」
さっきから眉を寄せっぱなしの二人の表情に気づいて、東が気遣いを入れる。しかし真夜が微笑んで言葉を返した。
「いいえ、依頼の解決のためには、その過去や状態を知っておくのはとても重要な事ですから、全く構いません。特にそれが、事件の原因に直接関わるような重要な事柄だというなら、なおさらです。どうぞ、続けてください」
東はその言葉を聞いてほっとむねをなでおろした。
「じゃあ…………この本のことなんだけど」
「ソロモン王の小さな鍵、だな」
「うん。じゃあまず、この本の原書を書いたソロモン王なんだけど……知ってる?」
この質問にはファルが即答した。
「イスラエルの三代目の王だな。紀元前一世紀頃だろう。『ソロモンの栄華』ともいわれる統一イスラエル王国の最盛期を飾る人物だったはずだから、忘れるはずもない」
東がうなずく。
「そう。そして、ソロモンのもう一つの顔、それが『魔術王ソロモン』なんだ」
「ほほう、そうなのか」
「妹の話によると、ソロモンは七十二もの悪魔を自在に使役する魔術の達人で、その栄華とか富とかなんかも、全部悪魔の力によってなされたものだった、らしいんだ」
真夜がふんふんとうなずく。
「そしてその悪魔の喚起や使役の方法を記したのが、この本だと、そういうわけですね」
「妹が言うにはね」
ファルがふんと鼻を鳴らす。
「随分と妹の肩を持つな」
「ファル、今はそれしか手がかりがないんですから、仕方ないでしょう」
「ふん」
しかし未だ納得しきらない様子でファルは腕を組み、黙った。
 東はすこし言葉を濁したが、すぐに話を再開する。
 東の妹は、その悪魔を呼び出すという不気味な儀式にも手を染めていたらしい。
「休日は部屋にこもりっぱなしだった。家族との会話もままならなくて……」
「何の目的で、そんな事を……?」
「それが、分からないんだよ…… 呼び出した悪魔ならほとんど何でも命令を聞いてくれるらしいんだけど、あいつがもし本当に悪魔を呼び出したとしたら、そのとき何を命令するつもりだったのか、僕には分からないんだ……でも」
「そこが一番大事なところじゃないか」
しかし、話の途中であるにも関わらず、ファルが不機嫌そうに口を挟んだ。
「そんなことしてなんになるっていうんだ。そんなことはどうでもいいから、さっさと本題を言え」
真夜がファルを横目で睨んだが、ファルは知らん振りである。
東は話を中断し一度口を閉じてから、再び重々しく声を出す。
「見ちゃったんだよ…………」
東の声が急に低くなる。その雰囲気の変わりように、真夜が問いかける。
「何をです」
「あいつがいなくなる前日の深夜だった…………僕が何かの物音に気づいて起きてみると、妹の部屋の扉が開いていたんだ。そしてそこからゆっくり姿を現したのは、妹だった……」
「………………」
「トイレでも行くのかなと思っていると、すぐに廊下の向こうへ消えてしまったんだ。それっきりだよ」
「………………それっきり?」
「それっきりなんだ。それがあいつを見た最後だったんだよ。廊下を曲がって多分…………暗がりの中で悪魔に連れ去られたんだ…………」
真夜とファルは目を合わせる。
「誘拐ではない……と?」
「魔術だ、悪魔だいっているから、その撥が当たったに違いないよ……! その夜も悪魔を召喚するだとか、そんなことばっかりやってたんだ……」
「なるほど……そこで前の話と繋がるわけだな。ふふん。確かにこんなことは警察にいえまい」
ファルはちらりと視線を真夜に送る。真夜はその視線を受けて、言葉を発する。
「東さんが、その事件が誘拐などではないとお思いになる理由が分かりました。図書館での用事はこれくらいですね? それでは、家までお送りしましょう」






 依頼一 3