二
「悩み事、困り事、恋の事、等、個人では解決しがたい問題を何でもご相談下さい。お気軽に。但し、危険だと思われるご相談はご遠慮下さい………………」
明るい夏の朝。
田舎でもなく都会でもない町並みは、今日もせわしなく動き続けている。ここからずっと遠くに連なる山々の峰がわざとらしく見える、そんな町である。
そして、そんな町のある角地の二階、外付け階段を上ったところに、一人の少年が一枚の紙切れと向き合いながら、扉の前に直立していた。歳にしたら、高校二年生くらいであろうか。
階段を上りきったところにあるその扉のガラス部分には、金色の文字で仰々しく「赤い月」と記されていた。所々バランスが悪いのは、それが手書きであるためだろう。親しみやすいかどうかといわれれば、親しみやすそうな字である。
少年は確かめるように、その紙切れの内容を声に出す。
「詳しくは、相談事務所『赤い月』まで…………よし、確かにここだ」
扉の文字に指を指して確認すると、少年は紙切れをポケットの中にしまいこみ、ごくりとつばを飲み込んでから、ゆっくりとドアのノブを回した。
「あ、あの〜……相談が――」
「お客さまですね! どうぞこちらへ!」
少年の第一声を気持ちいいほどにさえぎり、開いた扉から少年を部屋の中に引っ張り込んだのは、一人の少女であった。ひょろりと背が高く、長い黒髪を後ろで三つ編みに結んでいる。そのまま少年は、テーブルを挟んで置かれていた二つのソファの一つに、ほぼ強制的に座らせられることとなった。もう一つのソファには、もちろんその少女が座るのである。
予想もしていなかった展開になされるがまま、少年はたどたどしく口を開く。
「あ、あのっ……僕、相談があっ――」
「あなた、お客さまですよね?」
「え? は、はい。一応そのつもりですけど……」
「じゃあ良かったです! すぐにお茶を入れてきますね! 少々お待ち下さい」
そう言うだけ言って、少女はそのなんだかゴチャゴチャした大きな眼鏡の奥でふにゃり(こうとしか形容しがたい)と笑顔を浮かべながら、部屋の奥へと消えてしまった。
「………………」
なんだったんだ。
少年は心を落ち着かせるようにふうと息をついた。扉を開けるなり、まるで拉致でもされるかのように部屋の中へと引きずりこまれたのである。しかも、相談事務所だと言うのに自分の話など少しも聞く様子は無かった。
それに、少年には驚くところがまだあった。この相談所の人員である。相談所というからにはちゃんと色々な事を学んだ大人が経営しているものだと思っていたのだが、現れたのがせいぜい高校生くらいの背丈と顔立ちの女の子だったから、吃驚したのだ。でもまさか、あの女の子一人しかいないというわけではあるまい。
少年は落ち着いてきた心で、辺りを見回してみる。
一言で言うならば、殺風景。いや、相談所とはなんでもこんなものなのだろうか。部屋の中央には長いテーブルと、それを挟むように二つの黒いソファ。その一つに、少年がいま腰掛けている。そしてその奥には仕事机か何かが置かれていて、その背後に大きな窓が存在していた。窓からの光のみが、この部屋の大半を照らしているようだったが、妙に薄暗い。
がちゃりと音がして、仕事机の隣にある扉が開く。そこから先ほどの女の子は姿を現した。
にこやかに少年に近寄ると、手にしていた盆から茶碗をテーブルへと。そして自分は少年と向き合うようにしてもう一つのソファに座ると、
「お待たせしましてどうもすみません。それから、ようこそ相談事務所『赤い月』へ。私が相談されちゃう役の月無真夜です。よろしくお願いします。お気軽にマヤって呼んでくださいね」
そういって丁寧に軽くお辞儀をしてから、小さな鼻にちょこんと乗った大きな眼鏡をくいっと上げる。
どことなく頼りない雰囲気を醸し出す女の子ではある。まあ、頼りなさそうという点では少年のほうが幾分レベルが高いのではあるが。
「あ、あの……」
「ちなみに、私の好きなモノはキムチと睡眠で、嫌いな事は睡眠を妨げられる事です。あ、それで、何でしたっけ?」
「あ、あの……ここにいる人ってあなただけなんですか?」
「いいえ、私のほかに、もう一人ちいちゃい子がいますけれど………… なかなか出てこないんですよね。困った人です。でも接客ならその人よりも私のほうが断然得意なところですので、大丈夫ですよ?」
表情のころころ変わる少女である。このセリフだけでも、思案する顔、困った顔、笑顔と三つが見受けられるのだ。
「はあ、そうですか」
てっきり大人がいるものだと思っていた少年は、ここでも期待を裏切られる事となった。まさかこの人より若い人がいるとは。
「ええと、それではこの事務所の事を簡単にご説明させていただきますね?」
そう前置きしてから、彼女は笑顔のまま話し始めた。
「まずはご相談です。お客さまがお持ちになっているお悩みなどをですね、私、正確には私たちにご相談下さい。そして次はご依頼です。先ほどの相談の内容で、個人で解決しがたいというものがあれば、私たちが代わって解決して差し上げます」
「はあ」
「はは〜ん。その顔は料金を気にする顔ですね! 大丈夫。もちろんお客様と地球に優しい良心価格です」
「あの……ただって事は――」
「もらうところはきっちりともらいます」
もちろんこのセリフも腑抜けたような笑顔。その笑顔に、優柔不断気味な少年は、はあ、とうなずく事しかできなかった。
「まあ説明という説明でもなかったでしょうか? 不安そうな顔ですね、大丈夫です。たとえこちらがまだ若い十六歳と十ニ歳だからって、お客さまからの依頼はきっちりとこなしますよ。万一解決できないような場合があれば、料金は全く無しで構いません。安心してください」
「はあ……」
と表面では心ない返事を返しているのだが、内心では、その二人の歳に驚いていたところだ。十六歳と十二歳といえば、高校一年生と小学六年生の歳ではないか。おそらく目の前にいるのが十六歳なのだろう。こんなところで仕事の真似事をしていてどうする。義務教育はどうなったのだ。高校はよしとして、中学にも通っていないのだろうか。
少年の不安は募るばかりである。
真夜と名乗った頼りなさそうな少女は、何処から取り出したのかノートをパラリと開いて、少年の考えている事など知る由もなしに、話を再開する。
「では説明はここまでということで……… まずはお名前をどうぞ」
「あ、はい。僕、西空東っていいます」
「にしからあずまさん……と。それで、今回のご相談は」
少女が、ずいと身を乗り出す。少年はそれに合わせてソファの背もたれへと体を埋もれさせた。
少年は近づいてきた真夜の顔に戸惑いながらも、弱弱しい声を出す。
「え、あ、ああ、そうですね……実はですね…………ぼ、僕の……」
「僕の……?」
真夜が聞き返したそのときである。
「妹がいなくなった。じゃあないか?」
仕事机の隣の扉の前に、一人の少女が腕を組んで悠然と立っている姿があった。声を発したのはその少女のようである。
「ファル! いらしたのなら何か言ってくれても」
「言ったぜ」
「いや…………まあそうですが……」
真夜が答えると、ファルと呼ばれたその少女はニヤリと笑みを浮かべ、西空東と名乗った気弱な少年に、少しばかり吊りあがった大きな瞳を向けた。それを睨まれていると勘違いしたのか、東少年は、ひぃ、と声を上げてすくみ上がる。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。私だって好きで急に出てきたんじゃない」
東がすくんだのは少女が急に出てきたからではなく、その視線に恐怖したからなのであるが、全くそんなことには気がついていない彼女である。
「まあ、とりあえず自己紹介でもしておこうか」
そう言いながら、白に近い金色の長い髪を揺らし、ソファにやはり悠然と歩み寄る。そしてやっぱり悠然と、真夜の隣に座った。しかしである。
背の高い真夜の隣に座ったせいで、その背の低さが恐ろしく目立った。一つのデコボココンビである。例えるなら、可愛らしいお人形さんと、ショーウインドーに立っている細身のマネキンが隣同士に並べられているようなものだ。足すら床についていないのではないかと疑ってしまうほどである。悠然とした雰囲気も、その背の低さによって打ち消されているような気がする。
真夜が口を開けた。
「彼女はファルメリア・テルミドールと言って、私の同僚です。怪しいものではありませんので、ご安心下さい。お気軽にファルちゃん、って呼んで下さいね」
「なんだその紹介は! 怪しいものではないってお前」
「まあまあファル、今はそんなこといっているときではありませんよ。折角この町に来て開業してから、初めてのお客さんがいらしてるんですから」
僕が初めてだったのか、と少年は口に出さず思う。
「ん……まあ、そうだな。えと……それで、相談内容は、自分の妹がいなくなったので探して欲しい、とこういうことでいいんだな?」
「え、はあ、まあそうですけど、なん――――」
「ふうむ。しかし人探しなんかは警察に頼んだらどうだ。私たちは最近この町に来たばかりだから、地理にも詳しくないぜ」
少年が続けようとする言葉も無視して、ファルは話を続ける。この相談所には相談を聞くものはいないのか。
「それに居なくなったって……誘拐かなんかじゃないのか? チラシを見たろう。そこに書いてあるはずだぜ、危険だと思われる相談、依頼はお断り」
「いいえ、誘拐じゃない………………と思うんです」
確信半分といった東のその言葉に、真夜とファルの二人が顔を合わせる。
「それは…………どういうことなんです……?」
眉をしかめた真夜の問いかけ。
東少年は、伏せ目がちに、漸く口を開いた。
依頼一 2