A COUNT TIME’S FIRST SPACE

 言葉でコミュニケーションをとりあうというのは、どういうことなのでしょう。(いきなりなんだ)

 言葉を媒介にして、知覚や感情、思考などを伝達しあうと言ってしまえば其れで済む話です。しかし、そもそも言葉と言うものは、個人によって認識の違うものなのです。自分が「おいしい」と感じるのと、相手が「おいしい」と感じるのとでの違い。二人の「おいしい」には違いがあるということも、その例の一つです。

 自分が何かを感じて其れを相手に伝える時、その感動を自分の中での最も適切な言葉に変換して、その言葉を相手に送る。すると相手はその言葉の意味を、自分の頭の中に持っているその言葉に対する認識で判断することになります。と言う事は、その言葉に対する認識が、二人の間で違っていたとしたら、二人が理解した元元の「感動」は、違うものになります。

 しかしそれでも、日常的な支障と言うものは殆どでません。会話するものたちの内には若干の食い違いがあるにもかかわらず、です。何故でしょうか。

 安心して話すことができる。これは、相手に自分の言葉を理解してもらえている、自分と同じ気持ちを持ってくれている、と勝手に自分で思っているからです。逆に、相手に自分の言うことが理解してもらえていないと分かると、途端にその安心は崩れ去ります。ですから、会話が成り立つ、コミュニケーションが成り立つ、ということに絶対必要なのは、同じことを相手と共有している、という勝手な認識です。つまり「互いにコミュニケーションをとりあう」とは、「互いにコミュニケーションがとれていると思いあう」ことだと思うのです。

 なんか硬いなぁ。

 今までは言葉と言うものに対して否定的な意見を書いてみましたが、その言葉のおかげで、感情その他の伝達が、多少のブレはあるものの、楽になったことは確かです。それは、ただの文字の羅列に、意味を付け加えたからです。

 例えば、「りんご」という文字の並びならこれを表し、「さつまいもようかん」と言う文字の並びならそれを表し、「サボテン魔人」という文字の並びなら、こういうものを表す、というようなものです。そうやって文字の羅列に意味を付け加える事によって、あるものを文字でひとくくりにしてしまう事が成功したわけです。

 感情で例えるなら、綿菓子と袋。感情が綿菓子で、言葉が袋です。元元感情なんてものは複雑なもの(ひとつながりのでっかい綿菓子)で、媒介なしでは今どう思っているのか、とかそんなことは大まかにしか伝える事ができません。そこで、その綿菓子を細切れにして、言葉と言う袋で包み、こういう気持ちが「怒り」袋で、こういう気持ちが「悲しみ」袋で…………という共通の理解をもつことで、細かな意思疎通ができるようになったわけです。

 しかし、綿菓子と言うものは一人一人が一つずつ持っているもので、当然全員の綿菓子全てを同じように細切れにできるわけではありません。だから、個人個人によって、一つの袋に入れる綿菓子の量や、場所が微妙に違ってしまうのです。うわあ、馬鹿なたとえだ。

 とにかく、其れがさっきも書いたアレです。そして其れが、文字の羅列に意味をつける、と言う事です。

 ただ漠然としたものだった、感情に限らないそれらのものは、名前をつけることによって縛られてしまった、とも言い換えることができるように思います。「それはそれ」としか認識できなくなってしまうから、と言うのが今のところの僕の意見。言葉に意味をつけるということは、意味に言葉を付けると言う事になります。其れは名が本質を縛り、本質が名を縛ると言う事です。

僕が、この話の中に出てくる女の子の名前を最後まで出さなかったのは、そこにある僕の思いが出てきたものだと思ってくれると幸いです。

                意味不明時間伯爵





 
A COUNT TIME’S SECOND SPACE

 前にわけの分からない文章が在りますが、無視してください。別人です。(嘘)

 それよりも、話を書くというのは難しい、という事をいつも痛感させられます。

 はじめに一言言っておくと、この作品は、僕がとても力を入れた作品です。(とはいっても、肩に力が入りすぎていたかもしれないという危惧は在りますが……)

 色々な思いを、この話の中に詰め込んだつもりです。細かな部分に、ぽつ、ぽつと。ぽつ。

 とりあえず、この中の少女と僕の考えが必ずしも同じではないという事を明記しておきます。印鑑は無いですよ。

 話を戻しマス。やはりこういう話を書くときに考えるのは、小説とは読むものがあって完成するもの、という事です。完成という言葉の使い方はあまりよろしくないかもしれませんが、其れは小説に限らず、色々な事でも同じ事だと思います。

 この話の中で、主人公は一体どういう体験をしたのか。あの町並みは、一体なんだったのか。

 其れらは全て、読んでくだすった方が自分で想像してくれると嬉しい事です。

 其れを頭においてもらって、僕の中の、あの町のイメージを書くことにします。あくまでこれは僕の中のですから。

 イメージ、というか、モデルは昭和二五年。西暦になおすと一九五〇年。大体第二次世界大戦終了の、五年後のものです。朝鮮戦争が始まった年でもあります。

 このころは、町の復興(発展?)の二極化が激しかったころで、学校の先生は戦争でいなくなってしまっていたり、体育館を区切って教室を作るなど、大変だったそうです。

 電気も最低限必要な夜にしか回ってこず、昼も電気が送られてくる昼夜灯を持つのはほんの一握りのお金持ちであったといいます。舗装された道路は主要なものや路面電車のレールの敷かれたところだけで、後はむき出しでした。その上を走る自動車も、当時は殆ど無かったそうです。自動車よりも身近な自転車などでも、若い男の人が齷齪働いた一か月分の給料でやっと買う事が出来たというのですから、今の事を思うと随分と変わったのだなあという印象を受けます。

 町には時々アメリカ軍を乗せたジープがやってきて、そのたびに子供が「チヨコレイトプリイズ」「チュインガムプリイズ」と群がります。そのアメリカの人たちは日本の旅館を貸切にし、上等な床の間を靴で踏み鳴らすものだから、「良い床の間が便所になった」と当時の日本人は批判していたようです。

  それでいて、子供たちは道路の真ん中に縁台を持ち出してきて、そこで将棋をしたり、それこそ花火を見たりしたわけです。

 そんな時代を背景にして、この話を書くことを考えました。

 僕はその時代に生きていないせいで、様子を想像することしか出来ませんが、そんな時代があったと、僕は強く感じる事が出来ました。

 長々とすいませんでした。主人公が迷い込んだあの町は、所謂過去だったのか、それとも、本当に人知れず、ああいう場所があったのか。主人公は? 少女は? など、先ほども書いたとおり解釈は自由です。

 とか言って。まだ未熟なので、これからも精進したいです。常に、「小説は読むものがあって完成するもの」という僕なりの考えを持ってこれからも小説を書いていきたいと思います。

 というか、この作品は本当は学校の文芸部に出すものなのですが、その部誌だけに発表するのもなんなので、UPすることに。ここまで読んでくれて本当に感謝します。ありがとうございました。



  時間伯爵