四

 

「ね、ねえ。どういうことよ。円次朗、教えてよ円次朗」

小さいくせに早足の円次朗を追いながら、疑問符を頭に浮かべたままの神無月はたずね続ける。

「一体、どういうことだっていうの? 円次朗」

「うるさいな円次朗円次朗と」

少し考えれば解ることだ、というと、立ち止まってふり返る。

「いいか、死体発見当時屋上には鍵がかかっていた。そしてそれまでに誰も屋上の扉へは近づいていない。その上、唯一の鍵を掛ける手段は職員室内にあった……他のどの種類の鍵も一つずつしかなかった。つまり、屋上への鍵もその職員室にあったものだけだったと考えると……」

そういわれて、初めて気がついた。

「あ、そうか! 密室になるんだ」

満足げにうなずく円次朗。

「そう。死体は鍵を持っていなかったわけだから、飛び降りる前に屋上の扉に鍵をかけることは不可能」

なんだかややこしくなってきたぞ……

「ややこしくなんか無い。むしろこれでぼくの言っていたことがわかったろう。これは、自殺ではなく殺人だ、と」

「あ、そうだった」

「確かにこれが中川の自殺だと考えると、密室の件も含め、全くと言っていいほどつじつまが合わない。しかし、これが中川以外の誰かによる他殺だと考えれば……不思議な事は何も無い」

「なるほど……鍵も、中川先生を突き落とした後で内側からかければいいわけね。それから鍵を職員室に戻した」

ふう、とため息をついて、円次朗は腕を組む。

「そこで犯人は大きなミスを犯したことになるな。おそらくそこまで考えが及ばなかったんだろう。鍵さえ掛けずにおけば、殺人だとばれずにすんだだろうに」

「となると、犯人は生徒?」

ふふ、と笑って円次朗が神無月に目を向ける。

「子供だからって大人より頭が回らないと考えるのは愚かだぞ、君。それは違う。死亡推定時刻は二一時から〇時。仮にその時間まで生徒が残っていたとしても、ただ怪しまれるだけだ。逆に警戒されてしまうよ。ぼくの考えでは、犯人は遅くまで残っていても怪しまれない人間。つまり、教員の誰かだ」

「教員の……」

一気に話が殺伐としてきた気がする……

 しかし外で現場を見ていた数十秒の中で、よくコレだけ観察できていたものだ……

「むしろぼくは…………」

円次朗がそう言いかけたところで、

「君たち、こんなところで何をしているの! 生徒は全員下校だよ」

誰かの声にさえぎられた。

 駆け寄ってくる大人の影。吉田先生だ。話では、彼が中川の死体を見つけた第一発見者と言う事だった。

「さあ、帰りなさい」

しかし円次朗はひるむ様子も無い。

「ぼくは警察関係者です。彼女と一緒に捜査をしていたところなんです」

「あ、そ、そうなんですか。これは失礼。吉田菊雄と申します」

「日笠円次朗です。もうすでに事情聴取は?」

若いその先生は、少し神経質そうな顔で微笑みながら言った。しかし神無月にとってそれよりも驚きなのは、円次朗の敬語である。

「ええ。もう散々同じ事ばかり訊かれて……」

「参考までにお訊きしますが、あなたが昨日、校舎を出たのはいつ頃ですか?」

「八時くらいです。もうそのときには私と中川先生しか残っていませんでしたが……」

つまり、それを証明するものは何も無い、と言う事だろう。しかし八時なら、彼は中川殺しには関与していないはずだ。

 円次朗は腕を組む。

「いやあ、それにしてもえらい事になりましたね……学校側としてもあまりこういう問題は起こしたくないでしょう」

「そりゃあもう……マスコミに洩れるのも時間の問題でしょうけど、学校の不名誉は資金源に即繋がりますから」

そう言って吉田先生は疲れたように笑った。

「そりゃあそうでしょうな。これから忙しくなるでしょう。心中、お察しします」

「あ、いや………………とりあえず、中へ」

手招きしたのは職員室。

「すいません」

三人が職員室に入る。吉田は二人分の席を用意してから、自分の椅子へと腰掛けた。円次朗と神無月の二人は、吉田の用意した二つの椅子に腰掛ける。

 円次朗が話し出す。

「突然の事で。発見された時にはさぞかし驚かれたことでしょう」

恐縮しているのか、先ほどから落ち着きの無い吉田先生である。こんな事があったすぐだから無理も無いのだが。

「ええ……そりゃあもう……驚きました。まさか自殺されるんなんて……」

「吉田先生は、一体彼とはどういったご関係で?」

「この学校に転勤してきて初めてお会いしたのですが……あまりお話したことは……」

「机が隣なのに?」

「ええ……あまりそういうのは、関係ありませんから」

「そうですか。なるほどねえ」

腕を組んでなるほどなるほどと何度もうなずく円次朗。指で口にくわえたキセルをいじくるのも忘れていない。辺りを見回して、吉田先生の机の上の、山のような資料に視線が止まる。

 椅子を立ち上がり、吉田先生に笑いかけた。

「それにしても大変な資料の数ですねえ。ぼくが教師ならすでに何がどこにあるのか分からなくなっているところです。現にぼくは、机の上に物を積むだけで無くしてしまうような人間ですから」

「ははは……こればっかりは仕方ありません。でも生徒たちの宿題や学年全体の資料を集めれば、こんなもんではすみませんよ……あの……」

「へえ。そう云うものですか。さぞかし大変でしょう」

と言って、上に載っていた資料を一つ手にとって見てみる。

「ほお。作文ですか。高校になってもこういうことはやるんですね」

「え、ええ。今度のコンクールに応募するものです。……あ、あの…………」

「コンクールですか。ほほう、作文といっても、やはりやることが高校生という感じはします……コンクールですか。なんですか、何かもらえるんですかな。お米とか」

「え、ええ。優秀賞より上に入れば、文房具一式と、筆、墨のセットが………………あの」

「お米は」

「ありません」

「ありませんか」

「あの…………日笠さん」

「はい」

やっとの事で反応した円次朗である。

「煙草、いいですか? ちょっと落ち着かないもので……」

なんだ、と言う顔をして円次朗はいう。

「そんなことですか。どうぞどうぞ。お好きなだけ」

「かたじけない」

と、胸元から煙草を一本出し、火をつけて一服する。神無月はあまり煙草が好きでないので顔を少ししかめたが、彼がそれに気づく様子はなかった。

「作文ですか。とすると、吉田先生は国語の担任ですね。まあ、机に並ぶ教科書の類いで分かりますが……」

そう言いながら、持っていた作文集を無造作に資料の山へ戻し……

「あ!」

途端にざざ、と崩れる資料の山。小さななだれのように、机の上のものを呑みこんでしまった。

 とっさに円次朗は謝る。

「すみません! ぼくの不注意です。もっとしっかりと戻しておけば……」

「いえいえ、構いませんよ」

片付けようとする円次朗の手を止め、幾分か余裕を取り戻した微笑みを浮かべて吉田先生は本の群れの中から何かを探り出す。見つけたそれを引き出して、白いプリントの類の上にゴトリと置いた。透明なガラスの灰皿だった。

「こんなの慣れっこですか、ら……」

吉田先生の顔が、灰皿を見たとたんに青くなった。

 円次朗が話しかける。

「いえ。本当にすみません……後で片付けておきますので」

「い、いえ本当にいいんです。私がやっておきますから」

すると、吉田先生は煙草を灰皿に強く押し付け、火を消した。

 その時の円次朗の目が、一瞬だが鋭くなったように、神無月には見えた。

 吉田先生はまた胸元から新しい煙草を取り出すと、火をつけ、一服する。

「あの……お話はこれで終わりでしょうか…………終わりならそろそろ、現場に戻られた方が……」

少し慌てているのを隠すような吉田先生の声。円次朗は机から一歩下がり、吉田先生が用意してくれた椅子に座りなおす。

「………………いえ。まだ少しお訊きしたいことが……」

「な、なんでしょう……」

「たいしたことではないんですが………………」

すると円次朗は、

「いや、それにしてものどが渇きませんか。少し暑いですね」

「な、何か飲み物を用意しましょう」

「すいませんね」

吉田先生はすぐさま立ち上がって、職員室の端の冷蔵庫へと歩み寄る。

 その様子を、両手を行儀よく両膝に乗せて神無月が見ていると、突然円次朗が顔を近づけてきた。

「え、ちょ、な、何よ」

「静かに」

少年の顔が近づく。筆で線を引いたような眉の下の、大きな青い瞳が神無月を見つめている。なんだか恥ずかしくなって、彼から思わず目を逸らしてしまった。

 ふ、と耳に息がかかる。ぴくん、と神無月の肩が震えた。小声でなにやら話しているようである。

「いいか、よく聞け。飲み物を一口飲んだら、手洗いへ行くふりをして部屋を出て、警官一人に、三分後に職員室まで来るように伝えてくれ」

「へ? 何? 警官って、どの」

「誰でもいい。兎に角外にいる警官一人に、三分後に来るように伝えるんだ。いいな」

それだけ言うと、円次朗は神無月から顔を離した。神無月の方は耳にかかった息やらなんやらで、わけも分からず心臓がドキドキいっている。もしかしたら頬も赤くなってないだろうかと、思わず両手で押さえてしまった。

 いいタイミングで吉田先生がふり返る。

「お茶で、いいですね」

「結構です」

「す、すいません……どうも」

さっきの余韻が残っている神無月の返答はどうも挙動不審だ。

 吉田先生が小さな湯飲み茶碗を二つ持ってきて、二人に手渡した。椅子にかけるとき一度チラリと机の方を盗み見た気がしたが、今の神無月にはそんなことはどうでも良かった。

 とにかく、よく分からないが彼に言われた事をやろう。神無月はまず、お茶を一口飲む。それから、あの、と切り出した。

「ちょっと、私トイレ行ってきます……」

恥ずかしげにそう言いながら、お茶碗を近くの先生の机へと置く。すると円次朗は、

「また君はトイレに行くのか。まったく頻尿だなあ。それだから頻尿小娘と呼ばれるんだ」

などとほざく。

 自分で言っておいて! と言いそうになるのを舌べろで必死にこらえて、一度彼を睨みつけてから神無月は部屋を出た。

「まあ、もらすなよ」

「この変態!」

捨て台詞をはいて、思い切り扉を閉める。

 さてと…………

 トイレへ行くふりをして、警官に三分後に来るように言うんだったわね。

 そう思いながら辺りを見回し、最寄の玄関を歩く一人の警官に目を付けた。

「さて……」

とコチラは職員室。

 円次朗は受け取ったお茶を一口飲む。その様子を見て、吉田先生が切り出した。何かさっきから少し落ち着かない。

「それで……訊きたい事とは」

「そうそう、それだ。実は最近洋食を食べ始めましてね。何か美味しいものがあったら紹介していただけないかと」

「日笠さん」

「はい」

「冗談ならやめにしてください。私も忙しいですから」

円次朗はすいません、と一言。

「洋食の件は、ではまた今度ということで」円次朗の目が真剣になる。「先生。この事件、どう思われますか」

吉田先生の目が少し泳ぐ。

「どう思うかと言われても……中川先生の自殺、だとしか……まさか、なにか違うんですか?」

にや、と微笑む円次朗。

「これは殺人です」

「まさか!」

「し! 静かに。このことは周りには漏らさないで下さい。まだ誰にも言っていません」

驚きを隠せない吉田先生だ。

「し、しかし何故、自殺ではないと……中川先生は屋上から飛び降りて自殺したんじゃないんですか? 靴だって、屋上で見つかったと……」

「そこです」

「そこ?」

「はい。実は中川先生の死体が発見された時、屋上にはロックがかかっていたんです。鍵は、職員室に。つまりどういうことだかお分かりですか?」

少し考えるようにして、吉田先生は首を振った。

「さあ」

「犯人が中川先生を殺害してから鍵をかけた、ということです。死んだ中川先生は鍵を持っていなかった。つまり、鍵をかけたもう一人の人間が存在することになります。それが、犯人です」

にや、と言う笑みを浮かべて円次朗が吉田先生を見つめた。一方吉田先生は、その視線から逃れるようにうなずいて見せた。

 円次朗は続ける。

「先生」

「は、はい」

「先生が学校を出たのは二〇時、つまり八時ごろとおっしゃっていましたね」

「ええ。…………そうですが」

「その時すでに校舎内には誰も居なかった……」

「はい………………あ、で、でも少し誰か残っていた気もします…………生徒が部活の関係で、一人二人……」

パン、と手を叩く円次朗。

「それだ!」

「な、何がですか?」

落ち着かずに煙草をふかす吉田先生。

「おそらく中川先生を殺害したのは彼らです。実はぼく、犯人は生徒だとふんでいるんです」

「そうなんですか……でもなぜ」

「自殺に見せかけようとしたのに屋上に鍵をかけてしまうようなミスを、大人は普通しません。殺害した後、慌てていたため、そこまで気が回らなかったんでしょう。犯人は十中八九生徒の誰かでしょうね」

「な、なるほど……」

煙草を二度三度ふかしてから、吉田先生は話しだす。

「あ、あの…………」

「生徒……その残っていた二人とは、誰だかわかりますかね?」

「え?」

慌てて考えるような吉田先生。

「い、いや。遠くから見ただけなので、はっきりと誰かとは…………それよりも、あのですね」

その時扉が開いて、神無月が戻ってきた。

「失礼します」

なんて丁寧にあいさつまでして。

「やあお帰り。その様子だと無事手洗いまでたどり着けたようだな。こちらとしても安心したよ」

「どういう意味よ。馬鹿」

神無月が円次朗の隣に座る。吉田先生はそれを見るなり立ち上がった。

「あ、あの、ちょっといいですか」

「なんでしょう?」

「煙草、片付けてきたいんですが」

吉田先生は灰皿を掴む。円次朗はそれをちらりと見て、言った。

「ぼくにはそれを止める権利はありません。どうぞ。捨てるなり洗うなり、お好きなように」

「そ、それでは……」

そう言って吉田先生が職員室隅の水道に近寄ろうとしたその時、扉が開いて、警官が一歩入ってきた。

 それを見て吉田先生に、待って、とストップをかける円次朗。

「先生。どうやらここも現状維持のようだ。これから立ち入り禁止のテープを張るようです。そうだね?」

急に訊かれた警官は、しどろもどろ。

「だそうですよ先生。その灰皿を、ここへ。元の場所に戻しておいてください」

警官にしばし視線を送った吉田先生は、しぶしぶそれを、茶色の机マットの上に置いた。









 五へ続く