三
「ここがあなたの下駄箱よ……って、そう言えば全校集会出てたんだから、知ってるか」
「いや、知らん。普通に登校してきたら皆帰っているところだった」
大遅刻じゃないか。しかも転校初日から。
日笠円次朗。
それが彼の名前らしかった。背はかなり低く、体つきもあまりがっしりしてはいない。どことなく、店前に飾られる細身の小さな人形のような印象を受ける少年だった。黒い髪はつやがあって、肌は抜けるように白い。オマケに、大きな瞳は深海のようなブルーときているから、本当に彼が日本人なのか疑ってしまう。しかしその外見の上に紺の和服だから、なかなかおもしろい画になっているにはいるのだが。
しかしこいつが、本当に口が悪い。それに鉄面皮だ。不機嫌そうな顔をするだけでくすりとも笑わないのである。いや、笑うには笑う。しかしそれは、相手を馬鹿にしたような笑みでしかない。
「ぼくは警察関係者ではない。厳密に言えばな。しかし警察と関係しているかといわれれば、関係しているといわざるをえない」
言葉遣いも年相応に聞こえない。
「なんだかややこしいわね。それで、この学校で何があったの?」
「なに、目だけでなく耳までやられたかね。神無月くん」
「どういう意味よ!」
いちいち腹の立つ言い方だ。
「君は集会で何を聞いた。どうせ面倒だとかつまらないだとか愚痴ばかり吐いていたのだろう。目に浮かぶよ」
「そんなこと……あるけど。でも中川っていう先生が亡くなったってことだけで、ほか詳しいことは知らないよ。隠してたみたい」
「投身自殺だそうだ」
「え?」
先生の死による三日の休校。何かあると思ったら、投身自殺?
ちょっと冗談じゃなくなってきたぞ……
「一通りこの辺りは散策し終わったな。それでは校内案内はこれくらいにして、これから現場へ向かう」
「あ、そう。じゃあ私帰るね。四日後また会いましょう」
そう言ったときの神無月の顔は、相当ゆがんでいた。正直なところ、自殺のあったような物騒なところはさっさと離れてしまいたかったのだが…………誰かが彼女の腕をぎゅっと掴んだのである。
この状況からして誰かとは一人しかいない。
ふり返ると、小さな人形が、
「待て、案内をしてくれた縁だ、君も来い。せいぜい足手まといにならんように協力してくれ」
なんともずうずうしいセリフを吐いた。
仕方なく玄関を出て、校舎横に回る。玄関から出てすぐのところに細いテープが張ってあり、人が入れないようになっていた。警官やらいろいろな調査員が動き回っている。朝来たときもそう言えばテープが張ってあったが、神無月は何かの工事かな、と気にも留めずに素通りしてしまった覚えがある。
「日笠さん! おはようございます」
警官の一人が自分よりも頭二つ半くらい小さな彼に向かって敬礼をしていた。なんとも不思議な光景である。
「ああ。状況は?」
「こちらへ」
テープの中へと案内される。彼女は僕の連れだ、と言う一言で、神無月もあっさりと入れてもらえた。この和服……だいぶ警察からの信頼を受けているようね。
校舎の外壁のすぐ隣に、白線が人の形に描かれていた。よく刑事ドラマで見るあれだ。ということは、ここに中川先生が……
よく見ると白線の中に、僅かではあるものの、血痕を見止める事ができた。大半は昨日の雨で流れてしまったのだろう。
円次朗はその場所にかがみこんで、いろいろと眺め回している。
警官が話し始めた。
「死体は中川義臣、四八歳で、この学校に転勤して今年で三年です。直接の死因は後頭部の打撲。おそらく、」上空を指差す。「あそこですね、屋上からの能動的あるいは事故的な落下と見られています。自殺の線で、間違いないでしょう。死亡推定時刻は昨夜二一時頃から〇時と見られています。第一発見者は今日の日直だった吉田菊雄、教員、三二歳。早朝六時に自動車で通勤して、玄関の鍵を開けにきたときに、人が倒れているのに気づいたそうです」
神無月は数歩下がって、屋上を見上げてみる。校舎は四階あるから……五階分の高さから落ちたことになる。うっひゃあ……高い。
円次朗は目を細めて、
「もうバラしたの?」
「すいません……何しろ若い生徒がたくさんいるもので、あまり人目にさらすのはよくないかと……担当の警部に指示されまして」
あの、と神無月が割って入る。
「バラすって?」
「現場を片付けることです。普通は担当者等の指示があるまでは現場を保存しておくんですが……」
ということは、円次朗は警察関係者ではないのか? いや、と神無月は思いなおす。警官の態度からして、全く無関係と言うことではあるまい。少なくとも敬語を遣われるような立場である事は確かだ。
円次朗は少しむすっとしたような表情を浮かべてから、
「死体の状況は」
「後頭部からの血は昨夜の雨でほとんど流されたようです。発見当時の服装は、上下のスーツの上に、白のレインコート。上履きは、屋上で発見されました。後でご覧になりますか?」
「ああ、見る。見るが…………カッパを着てたのか?」
「ええ。丈の長い、フード付きのやつです。写真です」
渡された写真を見ながら円次朗はそこで少し考え込んで、
「カッパの実物を後で見せてくれ。十月くん、ここはもういい。行くぞ」
「………………」
「十月くん」
「……あ、え? 私?」
ややこしい呼び方をしないで欲しいものである。
円次朗はふり返りもせずに校舎内を進んでいく。それを神無月が追う形だ。
「どこへ行くっていうの?」
「屋上に決まっているだろう。人に聞く前にもう少し考えたらどうだ。無い頭でも、絞り切ればすぐに考え付く」
むっとした表情で、神無月は頬をぷくっと膨らます。
「…………いっちいち腹立つわね……一応さっき会ったばかりなんですけど」
「そういえば、まだ屋上への道を案内してもらっていなかったな。どう行けばいいかね」
「ここの階段を登っていくのよう。もう、話を逸らして……。あ、でも鍵がいるわよ」
「警官がいる。もう開いているだろう。それとも君が取りに戻るかね」
「………………」
「さあ、ついた」
階段を上りきった先に小さな踊り場がある。そこの扉をぬければ屋上である。
円次朗の言ったとおり、すでに警官がいて、鍵を開けて屋上を捜索していた。良く考えれば、さっきの警官の話でも「靴は屋上で見つかった」と言っていたではないか。
「ご苦労様です」
「そっちもな」
「ど、どうも……」
警官と軽く(神無月以外)あいさつを交わし、屋上へと足を踏み出す。
「屋上へ続く道はここだけかね?」
「そうね。他には……無いわねえ」
「ふむ。……む、あそこだ」
屋上の縁には、さすがに危ないので腰までの高さがある柵が四方に張り巡らされている。その一角に、番号札が立てられていた。
「靴が見つかったのはここか?」
「はい。校内用の上履きで、スリッパに近いものでした。きちんと揃えられていたようです」
柵の少し手前に並べられていたようだ。ということは、この柵を乗り越えて飛び降りたと言う事か……
柵から覗き込むようにして下を見ると、丁度白い人型の線が見えた。思わずぶるっと震えてしまった。
円次朗は警官に訊く。
「他に何かあったか?」
「いえ……特に何も。ここにあったのは靴だけみたいですね」
「そうか…………神無月くん。ここはもういい。次へ行こう」
「え、あ、うん」
どうも私がいる意味がよく分からない……
なんて事を神無月が思っているあいだにも、ずんずんと円次朗は扉へと向かっている。やっぱり自分のいる意味がよく分からない、と思う神無月であった。
階段を下りながら神無月は訊く。
「ねえ、さっきのところは特に問題ないの?」
「さあね。まだまだ情報不足だよ。今は兎に角状況を把握することだ。職員室はこっちであっているな」
「え、ええ……………………。本当に自殺なの?」
すると不思議そうな顔をして円次朗はふり返る。
「変な事を訊くな、君は」
「いや……」
「だから変人なんだ」
「へ? いや、全然繋がんないでしょ!」
ふん、と鼻息を一つ。円次朗の言葉が続く。
「どうだかな。はっきりは言えんが……どうもなにか気になるんだ」
「みんな自殺だって言ってるみたいだけど?」
「うむ……」
一階へ続く階段を下りながら、円次朗は腕を組んでうなる。
「死体はカッパを着ていたといったろう」
「レインコートね」
「何故?」
「へ?」
いきなりそんなこと訊かれても……
「そ、そりゃあ……その、昨日は大雨だったじゃない? だから、濡れるのが嫌で……」
「これから死ぬ人間が、体が濡れる事を気にするのか? せいぜい扉から出て数メートルの場所じゃないか」
「す、少し屋上で考え事してから飛び降りようかな〜、って考えてたから、とか」
「それなら傘でいい。夕方はまだ晴れていたから、傘なら下駄箱の傘立にいくらでもある。その場合、わざわざ手間のかかるカッパを選んだ事に疑問がわいてくる」
そう考えれば……そうだが……
「そんなに深く考えなくてもいいんじゃないの?」
「だが……気になるものは気になるのだ……」
「と、職員室に着いたわよ」
おっと、と足を止める円次朗。扉を開けて、中へ入る。
「誰も居ないね……」
「おそらく事情聴取だろう。これで邪魔な大人ども無しで捜査できるぞ」
教師を邪魔な大人扱いである。
「そういえば、あんた、なんで職員室なんかに。関係あるの?」
「なに、ちょっとホトケがどんな仕事をしていたか見てみたくてね」
真っ白な手袋を取り出し、それを両手にはめる円次朗。うわ、それっぽい。
椅子の裏に貼ってあるシールで中川という文字を見つけ出し、その机に乗っているノートパソコンを開く。案の定、立ち上がったままだった。
円次朗がそんな事をしているころ、神無月はというと、ふらふらと部屋内を見てまわっていた。入るのは初めてなのだ。
「でもやっぱり職員室なんてどこも変わりないわね……」
「神無月くん、来てみろ」
「え、なに?」
駆け寄って、ディスプレイを覗く。
「三‐六学級通信『曙』? コレがどうかしたの?」
「気づかんのか戯け。仕事が途中で終わっているだろう」
よく見ると、文章が途中で終わっている。「……であるから、四月の始業式およびにゅうがくし」のところで途切れているのだ。
「あ、ホントだ。でもそう云う仕事に嫌気が差して自殺したんじゃないの? それならこういう事だって十分にありえるわ」
「馬鹿だな君は。それにしても文章がこんなに中途半端なところで途切れているなど、変だろう。普通なら区切りのいいところまで打つ筈だ」
「何故?」
「いいか、普通タイピングする時は、一単語を最小単位で変換していく。それに彼の職は教員。文章を作成する事も多いだろう。キーボードはある程度打ち慣れていると考えていい。そう云う人のタイピングの区切りは、ほとんどの場合一単語だ。つまりこの場合は、最短でも『四月の、始業式、および』と変換しながら打ち込んでいったと考えていい」
「なるほど……普通は一単語を打ち切るまでは手が動く、ってことね」
「まあ大雑把に言えばな。すると、ここで『にゅうがくし』で終わっているのには納得がいかない。打ちなれている人間なら、『入学式』と最後まで打ち込んでしまうだろう。死のうと考えるのは、それからでいい」
「ふむ……じゃあ、どういうこと?」
「タイプしようとしたところで誰かに殴り殺された……」
「え?!」
「……と考えたら納得がいくな」
平然と顎をさする円次朗である。
「でも、自殺じゃないの? 警察の人も……」
「そんなもんあてにならん」
なんて事を言う人だ。
円次朗はそのまま少し考え込んで、隣の机を見る。
「中川の右隣が、第一発見者の吉田か……」
茶色い机マットの上に、沢山の資料やら、教科書その他の本やら、タバコやら、ガラスの灰皿やらが置かれている。教師の机とは皆こんなに乱雑なものなのか。
円次朗はそこを一通り見回して、今度は目をつぶって腕を組み、なにやら考え出した。神無月はその様子を確認して、パソコンから離れ、いろいろと歩き回ってみる。
「そう言えば君、さっきから何を探しているのかね」
「え? 鍵よ鍵。いろんなところの鍵。一箇所にまとめてあるでしょ、大抵。あ、あったあった」
「……鍵、ねえ」
「………………あれ?」
無い。
「む、どうした」
「無いのよ。肝心なものが」
「肝心なもの?」
「屋上への鍵が無いの」
「何?」
理科室、音楽室、彫塑室……その他いろいろな部屋の名前が書かれたシールの下には、全て一つずつ鍵がかかっている。しかし、屋上、というシールが張られた下のフックにだけ、何もかけられていなかった。
円次朗が近づいてきてそれを確かめると、廊下へ首を突き出し、玄関近くにいる警官を呼んだ。
「おい、君!」
「はい」
さすが。すぐに駆け寄ってくる。しかしこんな年下に君呼ばわりされて、屈辱ではないのだろうか。
「屋上の扉の鍵を知らないか」
「知っておりますが」
「どこにある」
「ええ。死体の飛び降りる前の場所の捜査をするため、屋上に上がろうとしていたのですが、扉に鍵がかかっており、そこの鍵を使いまして。……いま、屋上班が持っていると思われますが」
眉をしかめる円次朗。
「鍵がかかっていた? だって?」
「ええ……」
「いつ頃のことだ」
「通報があって駆けつけてからなので……六時一〇分ほどの事です」
「それまでに人は」
「いえ、おそらく日直の吉田先生だけだと……しかし彼もおそらく屋上には近づいていないでしょう」
「もう一度訊く。鍵は職員室にあったんだな?」
「ええ、まあ」
「……そうか。ありがとう。持ち場についていてくれ」
「はっ」
玄関へと走って向かう警官を見送って、円次朗はふり返った。
「なにか分かったの?」
「いや、なに。これからの君の返答しだいさ。屋上の扉の構造、分かるか」
「外開き」
「馬鹿。そうではない。鍵の部分の話だ。僕が見た限り内側からも外側からもかけられるようになっていたはずだ」
「そう……だったっけ?」
「そんなだから洞察力皆無小娘と言われるんだ」
「今初めて言われたわよ!」
「しかし、どちら側から鍵をかけようとしても、鍵穴に鍵を差し込まないといけない構造になっていた……」
「…………つまり?」
円次朗はにやり、と不敵に笑った。人形のように整った顔が、不気味な雰囲気を放つ。
「これは自殺じゃない。殺人だ」
四に続く