十一

 

 三日間の休日はあっという間に過ぎ、連休明けの登校日。実質五月に転校してきた日笠円次朗にとっては今日が初登校日なわけだが、なんと彼は転校初日から全生徒に知られる存在となった。

 そう。先日の教員殺しの事件を数時間で解き明かしたという噂が広まったのだ。

 …………なんていう理由ならまだ格好がつくのだろうが、実際はそれとは比べ物にならないほどあほらしいものだった。

 そう。彼のあだ名は『遅刻少年』。なんと、二限の授業が終わる五分前というときになってやっと、教室の扉を開けたらしい。あだ名が物語る彼の有名になった理由。

 これが、円次朗がけっして事件を解決した頭脳派転校生として名を知らしめたわけではない根拠である。

 普通、少なくとも転校初日くらいは緊張して、少しはピシッとするものだ。そう思いながら、神無月は人気の全くない屋上の片隅で弁当を開けた。

 あんなことがあってから、――直接事件現場には関係がないものの、――この屋上に近寄る生徒はほとんどいなくなった。それを利用し、神無月はこの静けさを堪能しているのだ。箸を取って、紺色をしたおかずの茄子の漬物を見ていると、ふと思う。

 この学校には制服がなく、皆が私服で登校しているのだが、さすがにあの格好は目立ったのだろう。それも恐らく彼が有名になった理由に違いない。

 紺の着物だ。

 皆が自由な服を着て来てかまわないとは言っても、さすがに着物で来る人間はなかなかいないだろう。おまけに口からはキセルがのびていると来た。これでは注目を集めるなという方が無理だというものだ。

 そんな事を考えながら、茄子の漬物を口に放り込む。とそのとき、

「おい。挨拶はしたのか」

なんて声が聞こえて、神無月は漬物をのどに詰らせた。

 どんどんと胸を叩き、水筒のお茶を飲み、やっとの事で漬物を胃へ落とすと、突然声をかけてきた無礼なやつに顔を向けた。

「なんなのよあんた。危うく死にかけ…………って、円次朗じゃない」

相変わらずの紺の着物にキセルの格好で、彼は神無月を見下ろすように立っていた。

「円次朗じゃない、じゃない。まず挨拶をするべきだと思うが」

「こんにちは」

「馬鹿、ぼくじゃない」

そう言いながら、神無月の隣に腰を下ろす。よいしょ、という声もオマケでついてきた。

「それだよ」

指差したのは神無月のひざの上にのっかっている弁当である。

「ああ。いただきます。今日はちょっと忘れてたのよ」

それにしても、と神無月は切り出す。

「あなた、初日から二時間も遅刻したそうじゃない。その話でもちきりだったわよ」

「光栄だ。ただで有名になれるとはな。情報網が増える」

そう言いながら、キセルを指で弄ぶ。

「でもそう言えば、あなたが事件を解いた、っていう噂は聞かなかったわね。なぜかしら」

「馬鹿め。そんなもの不思議でもなんでもない。ぼくが喋ってないだけだ」

驚いたように目を丸くする神無月。

「でも、遅刻の汚名を晴らすにはいい口実じゃないの。それに頭脳派キャラとして重宝されるわよ。こないだの事件は、実はぼくが解いたんだ、って一言言ってきたら?」

「信用するわけがない。それ以前に面倒臭い」

神無月の提案は一秒もしないうちに一蹴された。

 そういうものかね、と神無月が思案げにご飯を口に運んでいると、しかし、と円次朗は話し出した。

「そんな事を言うなら君も謎解きに一役買っているんだぞ」

「私が?」

「まあ、正確に言えば君がぼくのためになったことなど、森に葉っぱを一枚投げ入れるようなものなんだがな」

「なによそれ」

「なんでもない、気にするな。ただの悪口だ」

「じゃあ気にするわよ!」

と息巻く神無月をよそに、円次朗は笑いをこらえるようにして俯いた。

 落ち着いて、良く考えてみる。

「…………確かに、あなたに言われたからレインコート買いに近くのホームセンターまで自転車こいで行ったけど……そのこと?」

「まあそれもある。しかしもう一つあるぞ」

なんだろう。思いつかない。

「服についていた、赤い糸だよ」

「赤い糸って……私がトイレに行ってない事を証明した、あの?」

「うむ。実はな、君があの時何気なく廊下で捨てたその糸が、板張りの隙間にはまり込んでいたんだ。隙間は狭くて深い。取ろうとしたがダメだった。そこで気づいたんだ」

「血が……廊下にしみこまないため………………そっか、それで気づいたんだ……レインコートを着せた理由」

「まあな」

そう言って神無月から目を逸らし、手で弄んでいたキセルを元のようにくわえた。

 その横顔を見て、神無月はふと思う。

 なんだかんだ言って、ちゃんと労をねぎらってくれてるじゃないか。ただの毒舌家なだけじゃなく、かわいいところも……あるのね。

「ま、しかしそんなこと知ったところで犯人逮捕とはなんら関係ないのだがな。まあ、動機を当てて相手を揺さぶるくらいにしかならなかったしな」

前言撤回。

 やはりこいつは好けない。絶対に一言多い。いや一言どころか二言も三言も多すぎるのだ。

「……………………」

気を取り直して、別の事を訊いてみた。

「そういえば円次朗、あのときの罠、成功したって言ったわよね」

「あのときではわからん」

「吉田先生に写真を見せて、自分のレインコートだと言わせようとしたときよ。私がカツ丼を食べてた時」

ああ、とうなずく円次朗。

「あれって吉田先生にそのレインコートは自分のだって言わせようとしたんでしょ?」

「……………………」

「でも吉田先生はそれをすぐに察して、知らないふりをした。だからあなたの罠は失敗した。違う?」

神無月の言葉が終わるやいなや、円次朗はふふふ、と笑い出した。な、なんだ、不気味だな。

「え、え? 違うの?」

「そうだ。違う」

円次朗は俯いていた顔を上げて神無月に視線を向けた。

「まったく違う。神武天皇とジャン・レノくらい違う」

「…………どういうことよ」

憮然とした表情で訊く神無月に、円次朗はキセルを口から離して話しはじめる。

「彼を追い詰めるためにぼくが最後に使った手を考えればすぐにわかるだろう」

わからないから訊いてるんじゃないの。

「まあまあ落ち着け。つまりだ。彼にはあの段階――ぼくが写真を見せた段階――では、レインコートが自分のものとは『知らないと言わせる必要があった』んだ」

「え?」

「つまり、ぼくが彼を職員室で追い詰めた最後の段階、そこで、初めて自分のものだと気づいたと言わせる必要があったというわけだ。そのためにはそれ以前は知らなかったというはっきりとした証言がいる。そうでないと、あそこでダミーのカッパを出した意味がなくなってしまうからな」

「あ…………」

そうか……今やっとわかった。

 あの段階で、知らない、と言わせておかなければ、円次朗が「何故これが自分のものだとわかったのか?」と訊いた時に、「死体発見当時に気づいた」などと言われて、逃げられてしまう可能性がある。そうなると、せっかく用意した名前の書かれていないカッパの意味がなくなってしまう。それを防ぐためには、現場を見ることのできないあの昼の段階で、「知らない」と言わせる必要があったんだ。

 つまり吉田先生は円次朗の罠を回避したつもりが、実は知らない間にその術中にはまっていたというわけか……

「その顔は、やっと気づいたようだな。ふふ、言ったろう。成功に限りなく近い、と」

「あなた……もしかして全部計算して……」

ふふふ、と笑って円次朗はキセルをくわえた。

「少し考えればわかることだ。そんなんじゃあぼくの助手は務まらないな」

「………………助手ってなんやねん」

「もうすぐ昼休みも終わる。そろそろ教室に戻るか」

「じょ、助手ってなんやねん!」

しかしそこで気づく。

 円次朗の腹が巨大な音を立てたのだ。

「あ」

「うっ…………」

と呟いて、その場に立ち尽くす円次朗。

「あなた、そう言えばさっきから何にも食べてなかったわね……」

「違う。別に今のは腹が減ってるとかそう云うことではない」

自分の後ろに立っている神無月に、さも何事でもないように言う円次朗。神無月が何か訊く前に話し出したのは初めてだ。……もしかして弁当を忘れたのが恥ずかしいのだろうか。

「高校に弁当が必要だったと知らなかったわけじゃないんだ」

「購買は? なにか買えばいいじゃない」

「ううむ……警察からの信用を失いたくないしな……」

つまりお金すら持ってきていないということか……

 そうやっていくら言ったって腹の虫はおさまらないぞ、円次朗君。ていうか、高校は初めてなのか? 転校してきたのではないのか?

 コチラに振り向いた円次朗の無表情な顔も、腹の虫が鳴くたびに眉をぴくぴくと動かしていた。

 神無月は腰に下げている工具袋から懐中時計を取り出し、開く。

 なんだ、昼休み終了までまだ一五分もあるじゃないか。適当な事を言いおってからに。

 神無月は懐中時計をしまうと、代わりに、食べかけていた弁当を手に取った。

 そしてそれを円次朗に向けて差し出す。

 疑り深そうな円次朗の視線が弁当に注がれる。

「何のつもりだ」

「私の食べかけで悪いけど、よかったら食べて? 早起きして作ったんだからおいしいはずよ」

「…………そんなもの食えるか。何が入っていてもおかしくない。目に毒を詰めるような人間なんだからな君は」

とその場で腕を組んで、目線を弁当から離した。いそいそとキセルをいじりながらである。

「食べないよりはマシでしょ? 変なものなんて入ってないから」

「……そういうことではなくてだな。ぼくには食べる手段がない……つまり箸がない」

「箸ならこれ使えばいいじゃないの」

といって神無月はさっきまで自分が使っていたものを差し出した。

「君が使っていたものだぞ……」

「きたないと思うなら洗ってきてあげるわよ」

「………………」

「早く食べないと時間なくなるよ」

「……………………本当にいいのか? 君は」

「なに遠慮してるの? 私は大丈夫よ」

「……………………」

円次朗は一瞬考えて、おずおずと弁当に手を伸ばした。

「仕方ない。食べてやろう。このぼくが食べるんだからな、光栄に思うんだぞ」

はいはい。

 円次朗は箸を受け取って、迷うように神無月をチラッと見てから、ゆっくりと口に近づけた。

「あなた、箸をたべるつもり?」

「え……?」

慌てて口から離して、ふりかけのかかったご飯を一つまみして、口に放り込む。

 なんだか、円次朗の様子が……。いつもの冷静さが少々失われているような気がする。なんなんだと思いながらも、神無月の心はこの状況を充分に楽しんでいる。

「……君にしてはまあまあの味だな。まるで爬虫類を食べているかのようだ」

なんじゃそら。

 苦笑して、神無月は円次朗の隣に腰掛ける。

「ゆっくり食べなよ。のど詰っちゃうよ?」

途端にむせる円次朗。

「ほら……」

小さな背中をポンポンと軽く叩く神無月。

 その時の彼女はうすうす感づいていたのかもしれない。

 

 この変人少年との変な関係がこれからも続いていくということに。

 

 それはそれでおもしろそうじゃないか。

 神無月は円次朗に気づかれないように小さく笑った。

 

 これが円次朗と神無月の、出会いの数日間であった。













第一話 終わり