十

 

「一体、これはどういう事ですか……」

職員室の扉を開けた吉田先生に、円次朗は言う。

「吉田先生。中川先生を殺したのはあなたですね」

「……君が何を言っているのか分からないが」

「ぼくなりに考えた結果です」

そう言って円次朗は立ち上がると、自分の向かい側の席に掌を向けて、

「どうぞ、かけてください」

「……………………」

しぶしぶと苛立ちの混じった表情で、吉田先生は椅子に腰掛ける。中川先生の席だ。

「自供してくれませんか」

「私が犯人だと、君はそう言いたいんですか?」

「ですから何度も言っているじゃないですか、あなたを逮捕すると」

「……………………」

吉田先生は目線を逸らして、くだらない、と一蹴した。

 ふう、とため息をついて、円次朗は椅子を立ち上がる。

「犯人の行動を思い出しましょうか」

それを皮切りに、話し始める。

「犯人と中川先生の二人は、職員室でなにやら話をしていた。そして中川先生が犯人の気に触るような事を言ったのでしょうか、犯人は思わずなにか固いもので殴り殺してしまった」

ごん、と叩く動作をする円次朗。

「ここまではいいですか?」

「私に訊くべきではない」

「では、次へ行きましょう。犯人は殺した中川先生にカッパを着せて、外へと引っ張り出した。そして今度は彼のはいていたスリッパを持って、屋上へと置いた。これはもちろん、事件をただの自殺に見せかけるための工作です。ここまではどうでしょうか?」

「だから、私は犯人じゃないし、そんなことは知らない。私に訊いても仕方ないでしょう!」

しかしそんな吉田先生の声など聞こえていないように、円次朗は続けた。

「しかしですね、一つ腑に落ちないことがあったんです。なぜ、犯人はわざわざ被害者に死んでからカッパを着せたのか。なにしろ手間がかかる。犯人の心境としてはすぐさま逃げたいところでしょうに」

「死ぬ前から着てたのかもしれない」

「ふつう屋内で仕事中に着る人はいません。着ていたとしたら、それはかなり特殊な人間でしょう」

「彼ほど特殊な人間はいない」

「彼が死の直前まで仕事をしていたことは、途中で途切れたパソコンが証明しています。だとすれば、彼がカッパを着たのは殺されてから。そう、犯人に着せられた、と言うことになります。おわかりですね」

「…………だからそれは、外が雨だったから」

「雨でした。確かに昨日は大雨でした。夕方に降り始めて翌朝まで降り続きました。しかしですね、あの時も言ったように、普通これから自殺しようとする人間は、体がぬれようがぬれまいがそんなことは気にしません。ですから、なにかほかにカッパを着せた理由があったはずです」

「………………」

「ずっと気になっていたんですよ。それで、さっきやっと気づきました。……………………血痕だったんですね」

「………………」

ばつが悪そうな表情を浮かべる吉田先生。

「廊下、板が敷き詰められてつくられています。当然、板と板との間には多少なりとも隙間ができる。死体を運ぶ時、万が一その隙間に血液が流れ込みでもしたら、奥の方までは雑巾を使っても恐らく取り除けないでしょう。それが警察に見つかって血液反応なんか出されてしまっては、せっかく自殺に見せかけた作戦が台無しだ。今度は中川先生を除いて最後まで学校に残っていた吉田先生、あなたが疑われてしまう。もうお分かりですね」

円次朗は言葉を続ける。

「犯人はカッパを着せることによって、血痕が残るのを防いだんです。職員室が板張りではないのが幸いしましたね。そして、偶然外は大雨だった。理由付けには丁度いい」

「…………………おもしろいね」

「いやあ、これを面白いと言う人間は、最低でしょう」

笑いながらいかにも楽しそうに円次朗はそういう。

「だが」

吉田先生は反論する。

「君が言った事は犯罪の証明で、私が殺したと言う証拠になるものではない。そうでしょう?」

「…………はい」

「君はそれで私を言いくるめられると思っているのだろうが、そうはいかないよ。これでも君よりは長く生きている」

「人を殺すくらいなら長く生きていない方がマシだと思いますよ」

楽しそうだ。神無月から見ても、それがわかる。反面、吉田先生の方は次第に苛立ちが募りつつあるようだ。

「なんとでも言えばいい。とにかく私は殺していないし、偽装工作もしていない。どうせこの方法で他の先生にも当たるんでしょうけど、証拠がなければどうにもならないよ。じゃあ、そういうことで。私も忙しいんだ。帰らせてもらう」

はき捨てるようにそう言って、勢いよく立ち上がる吉田先生を、円次朗の声がさえぎった。

「待ってください」

「なんですか、証拠がなければどうにもならないと」

「証拠ならありますよ」

ぴたり、と吉田先生の足が止まる。

 円次朗は話し出す。

「実は、被害者の着ていたレインコート、指紋がついていたんです。容疑者調査の時集めたでしょう。もちろんあなたの指紋です」

振り返った吉田先生も、負けじと言い返す。

「私の指紋がついていたからって、何故私が犯人にならなければいけないんですか。そりゃあ、何かの間違いで触ってしまった事もあったかもしれない。しかし――」

「何を言っているんですか?」

「え?」

「指紋がついていたのは、服のボタンです。神無月くん」

「はいはい」

そう言って、神無月は脇に置いていたかばんから白いレインコートを取り出す。前がしっかり閉じてある。そのボタン部分を吉田先生に向けて突き出した。

「確かに触ってしまうようなことはあるでしょう。しかし、ボタンについているというのはいまいち納得できない。しかし、あなたがカッパを犯人に着せた時についたものだとしたら、なんらおかしくはない。それとも、あなたと中川先生はお互いの服を着せあうような間柄だったわけですか?」

「………………」

「失敗しましたね先生」

吉田先生は俯いている。何をしているのかと思ったら、突然顔を上げた。笑っている。

「それだけかい。日傘くん」

「これだけで十分だと思いますが」

するとその円次朗のセリフをあざ笑うかのように吉田先生は笑った。

「いや、残念ですね。残念ながらそれはなんら証拠能力がありませんよ。なぜならそれは私のレインコートだからです。今見えましたよ。襟首の裏に黒いマジックで吉田と書かれているのが」

「………………」

その言葉を聞いてか、円次朗は唇をかんだ。

「もう少し隠しておくべきでしたね。ちゃんと見えましたよ。私のレインコートに私の指紋がついていてもなんらおかしくはない」

「……………………」

円次朗は俯いてしまった。切り札をかわされたからか。

「いやあ、写真を見たときにもしやとは思ったが、やっぱり私のものだったか、いやあ、しかし残念でしたね。これで私を逮捕することはできなくなった。違いますか?」

少しの沈黙。円次朗は、静かに顔を上げた。

 

「違います」

 

「………………強がりですか? 証拠はつぶされた。」

しかしそれが強がりでない事を、神無月はよく分かっていた。その証拠に、上げた円次朗の顔には、にやりとした、人を食ったような笑みが浮かんでいたからである。

「あなたがそう言うのを、待っていたんです。証拠なら、今できました」

唇を噛んでいたのは、笑ってしまうそうになるのをこらえていたのだ。

「吉田先生、何故これに証拠能力がないと思うのですか」

円次朗の笑みに調子を崩されながらも、吉田先生は言う。

「だ、だから、そのレインコートは私のだから、私の指紋が検出されてもなんらおかしくないと……」

それをさえぎるように円次朗は話し出す。

「確かにですね。被害者は発見当時あなたのカッパを着ていました。襟首の裏に吉田と黒いマジックで書いてありました。しかし、ぼくは一度もこれを、あなたのものだとは言っていない」

一息間をおく。

「もう一度訊きます。何故これが自分のものだと思ったんですか?」

円次朗はにやっとした瞳で吉田先生を睨みつける。しどろもどろになりながらも、吉田先生は声を絞り出した。

「…………だから、自分の名前が見えたんですよ、その隙間か…………ら……………………そんな……」

愕然とした吉田先生の視線の先には、真っ白なレインコート、円次朗がボタンを開いて、襟首の部分を露出させた、真っ白なレインコートがあった。真っ白な。

 名前など、どこにも書かれていなかった。

「そう」

円次朗は言う。

「ぼくはこれが事件に使われたそのものだとは一言も言っていない。もちろん名前なんか書かれてないんです。理由は簡単。これは神無月くんに買ってきてもらったイミテーションですからね。どこにでも売っている物で助かりました。ちなみに、三八〇円でした」

「………………あ……じゃあ、指紋が検出されたっていうのは……」

「それは本当です。しかし同様に、このカッパから出たとは一言も言っていない」

「……………………そ、そんな」

「ちなみに、吉田先生のカッパは、ここです」

といって、円次朗は神無月が買ってきたレインコートの入っていたかばんからもう一つ白いそれを出し、襟首を広げて見せた。吉田、と黒いマジックではっきりと書いてあるのが確認できた。

 眉を寄せる吉田先生を円次朗は睨みつける。そして、ここぞとばかりに言葉を浴びせ掛けた。

「写真を見せた時、あのカッパをあなたは自分のものだとは言わなかった。それから殺人に使われたカッパが自分のものだと知る機会はなかったはずなのに、なぜ今、それを知っているんですか?」

「……………………」

「死体を見つける以前にそれが吉田先生のものだと知ることができた人物はただ一人です。それは」

円次朗はキセルを口から離して、呆然とする吉田先生に向けた。

 

「犯人である、あなただけなんですよ」

 

 吉田先生が地面に膝をついた。

 神無月は円次朗の後姿を、ただただ驚きながら見ていただけだった。

 搾り出すような吉田先生の声。

「いつから、疑ってたんです」

いつもどおりキセルをくわえた円次朗は、一度腕を組んで姿勢をとると、静かに話し始めた。

「初めて先生とお話したときです」

「………………」

「あなた吸い始めた煙草をすぐに灰皿に押し付けた。それでおかしいなと思ったんです。もしかしたら灰皿に、何か隠さなければいけないものを見つけてしまったのではないか、そしてそれを慌てて吸いかけた煙草で隠したんではないか、とね」

「………………」

「あなたが見つけたものは血痕ですね。中川先生を殴るときに使ったものは、おそらくあのガラスの灰皿でしょう。血をふき取る時に、僅かに残っていたのにあなたは気づいてしまったんだ」

「………………」

「先生の机のマットは茶色ですね。その上に灰皿が載っていたときは、茶色と血の色が似通っていたので気づかなかったが、ぼくが資料を崩してしまったときに置いた白い紙の上では目立ってしまった。そこで発見したんでしょう。先生はぼくたちに気づかれる前に、あわてて火をつけたばかりの煙草を血痕に押し付けてそれを隠したんです。まあ、そんなところでしょう?」

しかし……と吉田先生は続ける。

「それは凶器の証明であって、私を特定できるものではないはずでは? 灰皿で殴るのは誰にでも出来る。それこそ生徒にだって」

「先ほどもいったようにあなたは血痕を隠した。それに生徒が彼を殺そうとしていたなら、わざわざ職員室に入ってから凶器を探すような事はしません。予め、用意をしておくはずです」

「………………なるほど……」

「あれだけ気にしていれば誰だって気づきます」

なるほど、と神無月も納得した。

 しかし、よくそんな些細な事に気づくなあと感心する。なるほど、さきほど円次朗が職員室で吉田先生を待ち伏せすると言い出したのも、吉田先生が拭き忘れた血痕を処理するために職員室に戻ってくると踏んだからなのか。

「もうよろしいですか、吉田先生」

円次朗の声。

 それに、黙ってうなずく吉田先生。

 

 吉田先生は彼にまぬかれて、校門の外で待機していたパトカーで連行されていった。

 こうして、教員殺しの事件は幕を下ろした。










十一へ続く