少年、日笠円次朗

      と

    少女、神無月






第一話 日笠円次朗の登場

 

  一

 

「だからお金は出すって言ってるじゃないですか」

「ダメなものはダメです。吉田先生もしつこいですね……」

茜桜高等学校の夜の職員室に、二人の男性教員の声が静かに響いていた。

 真っ暗な窓の外からは、降りしきる雨音だけが濁音となってうるさく届く。

 隣同士の机の一つを叩いて、吉田と呼ばれた若い教師があせったように立ち上がる。

「中川先生! だからあれは事故だったと何度も言っているじゃありませんか! そんな写真、妻に見せたところで何も変わりませんよ」

「じゃあそうやってあんたの嫁さんに言えばいいでしょう? 私に言われても困るよ。それよりも明日転校してくる生徒の事を考えた方がいいんじゃないですか? なんでも、警察の方からは強く信頼を受けている生徒のようで」

中川と呼ばれた中年の教師は、何でもないかのように卓上のパソコンを叩きつづける。視線さえ、隣の憤慨した吉田に向けもしない。

 吉田は怒りを無理矢理押さえつけるように、眼鏡を上げながら椅子につく。

「……あの夜、曲がり角でぶつかってしまったんだ。それだけなんです。それだけなんだ……あの女性とは本当に何にもないんです……だから、中川先生、あなたが撮った写真、僕に渡してください」

「分からない人ですね、本当に」

中川の言葉に、吉田の眉間のしわが更に深まる。

「離婚することになってしまうじゃないか! そんな写真を見せられたら!」

「もう少し静かにしてください。もう十一時ですよ。早く帰って、嫁さんに会ってあげてください。もう一緒にいられる時間は短いんですから」

ぎり、と歯を食いしばる吉田。椅子から静かに立ち上がる。その手には、卓上にあったガラス製の灰皿が。

 中川の視線はディスプレイに注がれている。吉田の様子に気づく気配はない。

「だからね、仕事はいいですから、早く帰ってあげて、そんでちゃんと寝なさいな。私はもう少し残って、写真の確認をしてから帰ッ」

 

   *  *  *

 

 後頭部から血を流し、椅子と共に床に倒れ付している中川のスーツに手を入れ、内ポケットから写真を抜き出した後、吉田はそれをおもむろにポケットに突っ込んだ。

 気づいたら殴っていた。

 血液の飛び散った灰皿を床に置き、どうしようか頭を回す。殺してしまったのは衝動だった。しかし、こんな時もあろうかと考えておいた事がある。

 窓の外を眺めた。

 大雨である。

 兎に角この死体を運ぼうと思い、両脇を抱えて引きずるように引っ張る。しかし、通り道に血の筋が延びてしまった。これでは後始末が大変だ。廊下の木目の間にしみこんでしまっては、取るに取れない。

 吉田は荒い息を吐きながら自分の机の奥にしまってある真っ白なレインコートを引っ張り出し、それを中川に着せていく。襟首に書かれた黒い吉田という文字が見えた。

 灰色のコートの上に白いレインコートを着た中川が出来上がった。これでフードをかぶっている限り、後頭部からの出血や、スーツにしみこんだ血液が廊下に伸びる事はない。吉田は中川を引きずり、雨の降りしきる校舎外へと動かす。運良くここは一階である。たいした手間はいらない。

 校舎の脇まで引っ張ってきたところで吉田は手を止めて、様子を観察する。今日は運のいい事に大雨だ。『投身自殺』した死体がレインコートを羽織っていても、なんら問題はないだろう。

 吉田は職員室へと走り、鍵を一つ掴んで階段を駆け上がる。しかし途中ではっと思い出したように、駆け下りると外へ出て、中川の足から上履きを脱がせ、また階段へと走っていった。

 屋上への扉を、持ってきた鍵を使って開け、屋上へと出る。体を打つ雨のせいで遠くがよく見えないが、縁へと近づき、上から死体のある場所を確かめる。そしてそこに、上履きをそろえて置いておく。

 よし。

 あとは、職員室に飛び散った血液をふき取るだけだ。

 吉田はそそくさと屋上の扉の鍵を閉めた。








  二へ続く